中谷宇吉郎「雪雑記」
岐阜で暮らしていた幼いころ、学校が休みに入ると母の実家(郡上郡和良村:現郡上市)に行くことが多く、夏休みなど長いときには2週間近く滞在したこともあった。
小学校のまだ低学年だったときのある冬休みのこと。実家に着いたとたんに大雪になり、田畑も道もすぐ雪で隠されてしまった。夜も雪は降り続き、庭も雪で覆われていたが、用を足すにはいったん戸外に出なければならず、なんとも不便なことであった。だがその夜、外に出たとき夜空を仰ぐと、大きな雪片のひとつひとつが絶え間なくゆっくり空から舞い降りてくるのが面白くなり、やがて自分の身体が夜空に吸い込まれて昇ってゆくような不思議な感覚におそわれたのである。雪に濡れるのも寒さも忘れ、随分長い間夜空を見つめ続けていたようで、心配して呼びに来た祖母にひどく叱られたらしいのである。
忘れていたこの記憶を思い出し、こうして記すことができたのは、ある日押し入れの中にこの体験を記した絵日記を見つけたからだ。今はもう失われた郡上の実家のことや、大雪の日の不思議な体験が蘇ってきたが、それから程なくして、偶然「雪の科学館」を訪れる機会があった。
2006年の夏、石川県の加賀市を訪れたとき、「中谷宇吉郎 雪の科学館」に立ち寄ったことがあった。そこへ行こうと計画していたわけではなく、道すがら偶然立ち寄っただけであった。名前は知っていても、彼の書いたものを読んだことがなかったのだが、後日彼の文章のなかに次のような一節をみつけ、その人柄が一層身近に感じられたのである。
1937(昭和12)年に書かれたという『雪雑記』より。
「標高は千百米位に過ぎないが、北海道の奥地遠く人煙を離れた十勝岳の中腹では、風のない夜は全くの沈黙と暗黒の世界である。その闇の中を頭上だけ一部分懐中電灯の光で区切って、その中を何時までも舞い落ちて来る雪を仰いでいると、いつの間にか自分の身体が静かに空へ浮き上がって行くような錯覚が起きて来る。外に基準となるものが何も見えないのであるから、そんな錯覚の起きるのは不思議ではないが、しかしその感覚自身は実に珍しい今まで知らなかった経験であった。」
上の写真は、雪の科学館を訪れたときのもの。磯崎新設計の六角形の科学館の姿が遠くに見える。駐車場から思わずシャッターを切った携帯電話の写真だが、忘れ難い風景となった。いつかまた行ってみたいと思っている。