暁のオリオン
※鈴木壽壽子さんに関する「冊子PDF」(四日市人権センター)のリンク先を新しいものに入れ替えました(2022年2月22日)
あのとき「暁(あけ)のサソリ」を撮ろう思ったのは、「暁のオリオン」のことが頭をよぎったからではないか、最近そう思い始めました。
まだ20代のはじめだった1975年ごろ、鈴木壽壽子さんの『星のふるさと』を読んだとき、そのなかにオリオンを詠んだ草田男の句を題材にした随想がありました。
火の島は夏オリオンを暁の星
彼女は、草田男が旅行中の伊豆大島で見た風景を詠んだものだといいます。以来この句は、私にとっても忘れられないものになりました。おそらく1930年代後半の句でしょうか。同じ句集には、「戦記なれば殺の字多き冬日向」があります。すでに大陸では宣戦布告なき「戦争」が拡大していたころです。
南の海で洗われた真珠のように、夏の暁(あけ)の空に、冬のオリオンの星々が昇ってきます。彼女が暁のオリオンを見たいと思っても、しかし彼女の住む当時の四日市では、フレアスタックと汚れた大気が星々を隠していました。
≪陽が昇れば、すぐクマゼミがかきたてる暑さを、少しでもしのぎよいものにと、真冬の星の生まれる姿を、神様はそっと、夜明けの空に溶かしておいてくださった。≫
≪夏の夜明けのオリオンが、私も見たい。火の島でなくとも、見なれた屋根の上にでも。≫
『星のふるさと』 「火の島」1971.8 (76-77頁) 鈴木壽壽子 誠文堂新光社 1975
火星大接近のあった1971年、鈴木さんは、家事の合間に火星表面を小さな望遠鏡で精密なスケッチをしたことで注目されたた方です。「星のふるさと」には海から昇る暁のオリオンと思われる写真が掲載されています。なお、彼女と天体観測への関わりについては、四日市の人権センターのサイトでも紹介され、冊子(PDF)も見ることができます。
暁のオリオンを見る機会は、残念ながら今まで一度もありませんでした。
いつか「比較明合成」とかいう機能を使って、海の見える場所で夏のオリオン出を撮ってみたい、いやいや、撮影なぞできなくてもいいので、夜明けのオリオンに出会うことさえできれば、きっと満足。
*『星のふるさと』は絶版。ところどころ残念な誤植があり、改訂・復刻が待たれます。
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