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2017年3月 9日 (木)

明治村 歩兵第6連隊兵舎

141119_1352272_2故郷岐阜や今住んでいる犬山について、何から書こうかと迷っていたが、自宅から近く、歩いて行ける「博物館 明治村」から始めることにした。

この建物は「歩兵第6連隊第10中隊兵舎」。もとは名古屋城内にあったものが移築された。その際約3分の2に縮小されている。下の写真も2年前の秋のものだが、撮影をしていたとき傍にいた年配の方々が、「親父は豊橋の歩兵第18連隊に入ったんだよなあ」などと懐かしく話しておられ、グアムやサイパンの生存者のご家族であろうかと思ったのである。

文化財として大きな価値があることは当然としても、この兵舎に私が特に関心をもつ理由は二つある。

ひとつは、父方の伯父が徴兵され、この第6連隊で初年兵教育を受けており、以前父から当時の伯父の苦労話を聞いたことがあったからだ。
1939(S14)年12月から翌年にかけてのことで、部隊はその4月に中国「広東」付近に派遣された。宣戦布告無き戦争が泥沼化していたころだ。伯父は印刷会社の事務員をしていたが、兵役を早めに終えてしまおうと考え、「通信兵」を志していたらしい。けれども徴兵前には実現できなかった。
徴兵前に彼が志願兵になろうとした理由は他にもあった。いわゆる「徴兵適齢」のことだ。1939年当時の兵役法では、前の年の12月1日からその年の11月30日までに満20歳に達した男子が徴兵適齢者とされていた。これを徴兵される側からみると、かつて同じ学校に通っていた同級生でも、誕生日の違いによって徴兵される年が前後することになる。
2年兵と新兵の差は、軍隊において天と地の開きがある。親しい友人や同級生が同じ隊内にいれば、安心感もあったかもしれないが、逆に学校時代に自分のライバルであったり、関係が思わしくなかった者が古年兵として同じ連隊に既にいたとすれば、人によっては耐えられない苦痛を被ることにもなる。伯父にとって、不幸にもその不安は現実のものとなってしまったのである。私の父も同じような不安はあったらしいが、別の理由から18歳で志願兵となり、中国の大同で初年兵教育を受けている(私の父のことはいずれ詳しく書いてみたい)。
もうひとつ関心をもつ理由は、戦後間もない頃、この建物が内部を改修して大学の仮校舎として使われていたということだ。でも私の生まれる前のことでもあり、僅かに縁を感じる程度のことである。

内部は移築時に作り直されているとはいえ、忠実に再現されて当時の兵舎内の雰囲気をよく伝えている。ここに来る度に、映画「真空地帯」(1952年)の一場面や、伯父の苦悩をどうしても思い出してしまう。もちろん父の軍隊時代のことも。
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