« 伊賀上野と柘植へ ➂ | トップページ | 「むすびの地」大垣 ② »

2017年5月20日 (土)

「むすびの地」大垣 ①

伊賀とともに芭蕉にとって大切な町であり、「おくのほそ道むすびの地」でもある大垣を先日訪ねた。実は、幼少期の5年を飛騨高山で暮らしたあと、私は小学校1年生の夏から4年生まで大垣に住んでいたので、懐かしい場所にも行ってみることにした。

芭蕉ゆかりの地を見る前に大垣城に立ち寄った。
Cci_000017_2Dsc02695lll
上は父が昭和37年9月に撮った夜景。ライトアップされることを知って撮影に行ったのだと思う。下は今回訪問時の撮影。でも比較すると、どこか違っている。
空襲で焼けたため天守は昭和34年に復元された。ところが郡上八幡城を参考にしたため元の姿と異なる点が多く、6年前の改修時に外観が変更された。たしかに父の撮った写真では、窓が今より大きく、破風の意匠も若干今とは異なっている。
ではなぜ郡上八幡城が参考にされたかというと、戦前に再建された郡上八幡城が焼失前の大垣城をモデルにしていたから、というのだからややこしい話である。
2枚の写真とも西側の広場からのものだが、父の写真ではすでに松の木が高く、他の写真も見るとアングル決めで悩んだように思われる。現在では2本の木が城を隠しており、残念な気がする。美しい城の姿全体をゆっくり眺めたい人は多いと思うのだが。

城を見たあと、遊び場でもあった新善光寺にも立ち寄った。その近くの暮らしていた家はもうなかったが、当時はずいぶん長く感じた通学路を行くと、悲しいくらいあっという間に東小学校に着いてしまった。
東西に長く延びた南舎の姿を見ると、半世紀以上前の木造時の面影を残しているのが嬉しく、やはり間違いなく東小学校なのだった。下左写真は、昭和36年の運動会。めったに学校には来なかった父が写していた(右から2人目が小2の私)。
Cci_000018jjPhoto

しばし昔を偲んだあと、「おくのほそ道むすびの地」へと向かった。

|

« 伊賀上野と柘植へ ➂ | トップページ | 「むすびの地」大垣 ② »

俳人 内藤丈草」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 伊賀上野と柘植へ ➂ | トップページ | 「むすびの地」大垣 ② »