伊賀上野と柘植へ ➂
帰り道に柘植に立ち寄るため名阪国道で15㌔ほど東へ走った。
まず「萬壽寺」を訪れた。門の右側に弟子の卓袋の句碑(一聲はつげの在所へほととぎす)がある。説明板には「・・・この柘植を在所と詠んだところに芭蕉さんとの連りを見る」とある。本堂内に「桃青殿」があり、しぐれ忌には献句が奉納されるという。ただ寺内に人影はなく、本堂に入るのは無理と思い、芭蕉の墓碑のあるところに降りた。ちょうど墓碑の側の花壇を整えている檀家の方がおられ、少しお話を聞くことができた。近くの「芭蕉公園」には是非寄って欲しいとのこと。さらに「誕生宅阯碑」への道順も詳しく教えて頂いた。親しみを込めて「芭蕉さん」という話し方が印象的であった。おそらく公園の整備にも尽力されておられる方なのであろう。墓所には松尾家のものといわれる墓碑が4つ並んでおり、囲いのある墓碑は「芭蕉翁桃青庵主」と読める。
今思えば、あの方ともっとお話すればよかったと後悔している。芭蕉について「予習」が足らなかった。
寺から少し上がったところに「芭蕉公園」がある。ここは「福地城跡」。石垣に歴史を感じる。公園は明治中頃に翁200年忌を記念して整備され、「臍の句碑」、「生誕之地」碑などが建てられている。山躑躅がきれいだった。明治26年建碑の「臍の句碑建設記念碑」に、オオミズアオが翅を広げて休んでいるのに出くわしてびっくり。
最後に「誕生宅阯碑」。道順が複雑で探すのに苦労したが、なんとか辿り着いた。宅地の一角が美しく整えられ、小さな碑を大切に守りたいという願いが伝わってくる。
萬壽寺で出会った御老人の「芭蕉さん」という言葉を思い出しながらこの阯碑を見ると、この地の人たちが長く翁を慕い続けてきたことがわかる。生誕の地は、午前中に見た上野赤坂の地が学問的には定説なのであろうが、私にはどちらであってもかまわないと思い始めた。いや、どちらも翁のふるさとなのだ。
、
余談。柘植に来てからは全く財布に触れることがなかったし、上野よりも歩く時間が長かったので芭蕉について考えることが多かったように思う。
ひたすら歩いてこそ、彼のことが理解できるのかもしれない。
| 固定リンク
コメント