「むすびの地」大垣 ②
元禄2年3月(陽暦5月)、芭蕉は「深川」の庵を引き払って曾良とともに奥州・北陸への旅に出た。友人や門弟が「千住」まで見送りにきていた。矢立の初めの句は、「行春や・・・」とし、約150日600里の旅を終え、むすびの地大垣の句では、「・・・行秋ぞ」と締め括った。
大垣到着時、多くの門弟や友人が集まり、その様子は「蘇生のものにあふがごとく、且悦び、且いたはる」と記されている。
生涯を通じて、芭蕉は何度も大垣に立ち寄っている。美濃、さらに尾張(名古屋)には、門弟が多く、熱心な支援者もいた。約2週間ほど大垣で滞在した芭蕉は、「伊勢の遷宮おがまんと、又舟にのりて」川を下っていった。
『野ざらし紀行』の旅で友人の谷木因を訪れて以来、芭蕉は合わせて4回大垣に立ち寄っている。船町の木因宅跡に記念館が建ち、水門川の港跡には二人の像もある。伸びやかな桜の枝に若葉が眩しく、左側にある住吉燈台も枝が隠していた。実はこの水門川は城の外堀である。度重なる水害や空襲の被害があったにもかかわらず、現在に至るまでよく保全されており、大垣駅東の愛宕神社から船町までの約2㌔余りの川岸には『おくのほそ道』で詠まれた句碑が据えられ、遊歩道は「ミニおくのほそ道」となっている。
美濃、尾張など、この地域の芭蕉所縁の地をさらに巡ってみたいと思っている。
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