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2017年8月 1日 (火)

寺尾直龍 ②

◎知多と直龍

現在の知多市には、今も寺尾直龍に関わる事蹟が残っている。
直龍は、知多の4村(佐布里[そうり]、岡田、羽根、大興寺)に藩から「拝領山」を与えられていたとする記録(「寛文村々覚書」)が残っている。おそらくこれらの地域に給知(知行地)もあり、在地はしなかったが地頭(給人)として村々と関わっていたのである。
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写真は知多市の旧岡田村にある「慈雲寺」である。上が「観音堂」、左下が「本堂」、右下が亙などに付された「三ツ扇」の寺紋である。この紋は寺内の建物の大半に使われている(2017年6月撮影)。「三ツ扇」とは、実は寺尾家の家紋である。
前回紹介した直龍の法名には「慈雲」の文字があり、直龍と慈雲寺との深い繋がりを表している。
【上の文章の下線部について、上掲写真の棟瓦の寺紋と寺尾家の家紋が、全く同じ意匠であるかどうかについて疑問をもった。寺の「観音堂」の説明板には「鬼瓦の寺紋は、寺尾家の家紋」である旨の記述がある。しかし寺には天保期の鬼瓦も残されており、その紋と上掲写真の紋とは意匠が微妙に異なっている。後日再調査のうえ訂正する予定である。注記:2024年2月21日】→文末参照

1660(万治3)年、直龍は慈雲寺の修造を援助した。上の観音堂はそのときに再建されたものであり、本来これが寺の本堂であった。その雨樋や天水桶などにも寺紋があり、寺尾家との強い関わりを示している。この修造以来、直龍は寺中興の恩人として地元では長く尊敬されてきた。
1668(寛文8)年、さらに直龍は慈雲寺に「燈明田六反」を寄進し、この証文を根拠にして、のち1830(文政13)年に藩から「寺領」とすることが許されている。この「六反」は、実は「新田切り」による田と畑であり、拝領山などを持っていた直龍がその一部を新田に転換させて慈雲寺に与えていたものと考えられる(「岡田町誌」)。
知多のこととの確証はないが、直龍が知行地に貧窮対策事業を行い、「民潤う」という記録もみえることから、かなり民生に力を尽くしていたことも窺われる。1674(延宝2)年には新田五千石の開墾を計画・提案したが、反対されて挫折している。
前回見たように、直龍は1675(延宝3)年犬山に蟄居となって藩政からは身を引いた。その後1693(元禄6)年、藩は一部の重臣の給知を除き、知多全域を蔵入地(直轄地)としたことなどから、寺尾家と知多との関係も遠のいたように思われる。

ところが寺尾家と岡田村・慈雲寺との交流は明治まで続いていたとの記録がある。1868(明治元)年の10月、当時の寺尾氏死去時に、慈雲寺和尚は「椎茸二升」と「香典」を持参し、さらに翌2年正月6日には、岡田村の庄屋・組頭らが名古屋の寺尾家宅に手土産持参で年始挨拶に出かけ、返礼として菓子や餅などをもらっている(知多市誌・「竹中家文書」)。
このことは、もちろん明治になって突然岡田村の人々が寺尾家に挨拶に行ったのではなく、200年以上世代をこえて寺尾家と岡田村との深い交流があったことを窺わせる。
寺尾直龍という人物を知るうえで、岡田村・慈雲寺のことは忘れてはならない事柄なのではないだろうか。

直龍については次回をもってひとまず終える。

*以上の記述は、『名古屋叢書続編(寛文村々覚書)』、『知多市誌(本文編)』、『知多郡史(上・下)』、『岡田町誌』などを参考としている。

【付記】(2024年3月12日)
2024年3月に慈雲寺を再訪したので、上記の「寺紋」と寺尾家「家紋」について付記する。
現在の慈雲寺の建築物(観音堂や本堂など)の鬼瓦等に見られる「寺紋」は、そのほとんどが上記写真の「扇の骨5本の日の丸三ツ扇」である。ところが寺の塀の瓦(笠木瓦)、手水舎、庫裡の瓦の寺紋は「扇の骨3本の日の丸三ツ扇」であり、また、寺内に残されている古い瓦(天保期の本堂屋根修復時の残滓)にも同様の意匠が使われていた。
こうした寺紋の意匠混在の理由ははっきりしない。時代による意匠の変化や瓦の「型」の都合によることも考えられる。ただし本堂内には、寺尾直龍の位牌に加え父直政の位牌も祀ってあるが、それぞれの位牌にある家紋は違っている。同じ三ツ扇ではあるが、直龍は扇の骨5本、直政は骨3本であって、父子の家紋に微妙な違いがあることも記しておく。
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   本堂などの寺紋          笠木瓦の寺紋

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