落柿舎 ➁
落柿舎の近くでは人を見かけることもなく、入庵していたのも私ひとりだけだった。日差しは少し強かったが、爽やかな風や高い空は秋のはじまりを感じさせる。
何本もある庭の柿の木から熟れた実が時折落ちてくる。見上げると鳥が忙しなく飛び回り実を啄んでいるらしい。自然に落ちてきたものか、鳥の仕業かわかりかねるが、もちろん落柿舎の名の由来と鳥とは無関係である。
その小ぶりの実に懐かしさを感じた。母の実家の裏庭に高い柿の木があって、こうした小さな玉を実らせていたことを想い出したのは、忘れかけていただけに、うれしいことであった。
けれども静かな時間は、庵を出るまでだった。その後のことはまたいずれ。
ところで、丈艸が芭蕉にはじめて出会った場所は落柿舎であったといわれている。
遁世後犬山を去った丈艸について、榎木馬州は「江北の山里に暫く足の留りしを、又鶉啼深草のさとに露のしるべの閑窓有て」と記し(『龍ケ岡』序)、去來の『丈艸ガ誄』には、「洛の史邦にゆかり、五雨亭に假寐し」ていたとある。
やがて丈艸は、すでに去來と交わっていた史邦を介して芭蕉と面会したのであろう。史邦は丈艸遁世の前に犬山の直龍のもとを去り、当時は仙洞御所に仕えており、その縁で去來を通じて蕉門となっていたと考えられる。芭蕉との面会時期は、芭蕉が「おくのほそ道」の旅を終えて入洛していた元禄2(1689)年暮れ、この落柿舎のことであったらしい。
その後、元禄4(1691)年4月25日、史邦と丈艸が落柿舎に滞在していた芭蕉のもとを訪れている。このことを記した芭蕉の『嵯峨日記』については次回に。
*蛍壁(錆壁)が珍しい。玄関には松尾大社の
「夏越の祓 ちのわくぐり(茅の輪くぐり)」の
お祓いさん(短冊)が掛けてあった。
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