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2018年1月15日 (月)

入鹿山白雲寺

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 ☆天道宮神明社の「楼門」(建築年不詳)
 手前の灯籠には「入鹿山白雲寺正徳元年法印覚道」の銘がみえる。

自宅から15分ほど歩いたところに、「入鹿山白雲寺」の跡がある。
この寺はもともと今の入鹿池に「天道宮神明社(天頭社)」の神宮寺としてあったものである。17世紀はじめに「入鹿池」が造成されたときに、社とともに今の前原地区に移転した。
丈艸の青年時代には、寺はすでに前原地区に移っているが、その後白雲寺は明治の神仏分離令の際に廃寺となり、現在は「天道宮神明社」に寺の古井戸や社僧の墓などがあるのみである。丈艸が訪れたかもしれない寺の姿は、今となっては絵図などを見ながら想像するしかない。

以前に丈艸の若い頃の漢詩前原道中を取り上げたことがあったが、そのほか犬山に関する丈艸の漢詩は、『犬山視聞図会』(文化元年ころ)に幾つか添えられている。そこでは「入鹿山白雲寺」も題材となっている。詩の内容を精確に読み込むことなどもちろん私には無理であるが、ただ気になるのは、起句の「郤(詵」という人物である。
彼は「桂林一枝」や「折桂」、「崑山之片玉」の故事で知られる人物のことらしい。「博学多才、瓌偉倜儻、不拘細行」(『晋書』列伝)と評されているから、才知に優れ、瑣事に拘らない心の広い人物であったようだ。母の死を機に官を辞し、三年の喪に服した
という話(のちに再招聘)なども伝わっている。当時の丈艸にとって、彼は憧れ慕う人物のひとりだったのかもしれない。
漢和辞典を頼りにしながら、なんとなくその字面は分かったような気にはなるものの、この詩に込められた青年丈艸の心の裡に近づくことは、やはり難しい。


 入鹿山白雲寺
獨 慕 郄 詵 幽 趣 長  
獨り郄詵を慕い 幽趣長し
萬 山 甲 境 惣 相 望  
山甲境 惣て相望む
一 僧 帰 去 白 雲 裡  
一僧帰去す白雲の裡
料 識 精 廬 在 上 方  
料り識る精廬 上方に在り

*郄詵の「郄」は後代の誤記であり、「郤」が正しいといわれる。

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境内は東西に細長い。この奥約130㍍先に見えるのが楼門、さらにそこから約130㍍行くと拝殿がある。今の楼門は、境内を南北に貫く県道工事(平成35年完成?)のために約54㍍西に移築された(平成10年)。道路は境内を跨ぐ高架になるとのこと。

参考
『尾張名所図会』
『犬山視聞図会』
『天道宮神明社・楼門の歴史』 平成10年
(楼門改修の際発行された記念誌)
その他、前掲の『人間丈艸』『丈艸伝記考説』など

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