丈艸と惟然 ②
冬の伊吹山(一宮市内からの眺め:写真のみ更新 2022年1月)
木枕のあかや伊吹にのこる雪 丈艸
(い)
うぐひすにまた來て寐ばやねたひほど 惟然
別に、「鶯に又來て寐ばや窓の際 無名庵にて別丈草 『後の旅』」もある。
丈艸と惟然の交情を示すよく知られた句。玄梅の編になる『鳥の道』所収。
惟然は元禄8年1月末に義仲寺で行われた芭蕉百箇日法要出座のあと、故郷の関へ帰っている。その旅立ちに際して丈艸が惟然に餞として送った句と、それに惟然が応えた吟である。
当時丈艸は翁供養のために無名庵で暮らしていたので、おそらく惟然旅立ち前の数日の間をともにしたのであろう。
丈艸の句にはかなり長い前書きが付いている。
「身を風雲にまろめ、あらゆる乏しさを物ともせず、たゞひとつの頭のやまひもてるゆゑに、枕の硬(かたき)をきらふのみ、惟然子が不自由なり」
と述べ、蕉翁も惟然の「頭のやまひ」をよくからかっていたと師を慕い、
「此春故郷へと湖上の草庵をのぞかれける幸に引駐(ひきとどめ)て、二夜三夜の鼾息(いびき)を贐(はなむけ)とす。猶末遠き山村野亭の枕に、いかなる木のふしをか侘て、残る寒さも一しほにこそと、背見送る岐(わかれ)に臨て」
とある。
この句には芥川龍之介のよく知られた賛辞があるが、ここでは安東次男の『木枕の垢 古句再見』を取り上げる。
安東は、「伊吹は東から眺めて興のある山だ。芭蕉も大垣から見るこの山が好だった。(中略)膳所にいて、山向こうに思を馳せる二人共通の心の向がまず面白い」と述べ、「残雪にこれほど思切った取合わせを以てし、しかもそれがみごとに成功した例をほかに知らない」とまで言い切っている。
私もふくめ、美濃や尾張に住む者にとって東から伊吹山を望む風景は、幼いころから慣れ親しんでいるもので、それが伊吹山というものの姿だと思っている。だが所をかえて近江方面から見るこの山は、あまり陰影もなく大きな岩の塊にしか私には見えなかった。「東から眺めて興のある山」で芭蕉も好きだったという安東のことばに、なるほどと思ったのである。
丈艸の惟然にたいする深い思い遣り、旅の無事を祈る心が伝わってくる句であるが、翁の懐かしい話を前書きに取り入れ、いわば「内輪話」をしているかのようでもある。これに応じた惟然の吟は、「じゃ、また来るよ」とさらりと受けつつも、「ねたいほど」とことばを重ね、丈艸の厚情に感謝しているのである。
おそらく二人の思い描く残雪の伊吹山は、なつかしい故郷から見えるあの姿にちがいない。そうであってほしいと思う。
| 固定リンク
コメント