其角-江戸の芭蕉2
其角の住居跡を見るために室町から兜町方面へ歩く。
途中「江戸橋」を渡りきったところで目を引いたのが、ビルと桜。プレートに陽光桜とあり、「花は一重で大輪 ・・・ 天城吉野と寒緋桜の交配で作出」との説明。
友人が「なんか、最近の映画に〈陽光桜〉ってなかった?」と言ったが、写真撮りに集中していたので生返事。
むしろビルのことが気になっていたので帰ってから調べてみると、意匠も含め歴史を感じさせる下層部分は、1930年築の歴史的建造物「江戸橋倉庫ビル」だった。上層部分を増築し最近整備された。中を見学したかった。
その南隣が「日本橋郵便局」、日本の郵便発祥の地。ちらっと見るだけ。
江戸橋一丁目交差点を左に折れて進む。手持ちの地図で確かめながら歩くと、
ATMの側、説明板でもあるかと思ったがそれはなく、裏面に、昭和45年11月に建てたこと、頭取横田郁と日本勧業銀行茅場町支店の文字のみ。
其角のことを本格的に調べたことはないけれども、前回までの記事で紹介した丈艸宛の書簡を読む限り、さすが江戸っ子という印象は強い。芭蕉の最も古い弟子のひとりであり、「蕉門の伊達者」といわれたり、江戸俳壇の大スターでもあった。父は近江膳所出身の医者である。
十五から酒を呑み出て今日の月 (浮世の北)
越後屋に衣さく音や衣替え (同上)
うぐひすにこの芥子酢は涙かな (類柑子)
3句目は赤穂浪士自刃の報を聞いてのもの。其角の知人であったとされる義士の名も数名伝わっているが、これも諸説あって真実はよくわからない。「越後屋」の句などの風物詩、あるいは社会種など興味は尽きないものの、複雑難解な句も多く、評解がなければその背景が全く不明なものも多いらしい。1句目は其角らしいところがあるが、あの酒好きの丈艸も、さすがに十五からは呑んでいなかったと思う。
春の夜の女とは我が娘哉 (五元集)
この句について堀切実さんは、「二人乗りの駕籠にまだ十歳ぐらいの娘と一緒に乗り合せたとき、酔いが手伝って」の句であろうと述べている(『芭蕉の門人』)。こうした驚きにも似た複雑な男の感情を、素直に表現できる其角という人物を羨ましいと思ったりする。
さて、次は友人が行きたいという「水天宮」まで歩く。
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