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2018年3月30日 (金)

深川-江戸の芭蕉4

食事後友人が「乗ろうか」と。たった一駅だけど水天宮駅から清澄白河駅まで半蔵門線で移動。駅を出て清澄通りを北へ向かい、「高橋(たかばし)」で「小名木川」を渡る。すると橋の北詰に歌舞伎役者二代目中村芝翫の宅跡。天保期このあたりに彼が住んでいたらしい。
左折し「芭蕉通り」の桜並木を通り、「江東区芭蕉記念館」に着く。

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記念館では特別展「明治維新と俳句」で正岡子規などを扱っていたが、常設の芭蕉に関する展示のほうが興味深かった。その後隅田川の岸に出て川風に当たり芭蕉庵跡とされる「芭蕉稲荷神社」や「芭蕉庵史跡展望庭園」へ寄った。

記念館が先月発行したブックレット『芭蕉と深川』によると、芭蕉が日本橋から深川に移ったあと、小名木川が隅田川と合流する元番所あたりの川辺に2回住み替えているらしい。もちろん今となっては庵の正確な場所はわからない。以来約14年間、この深川の地を根城にして俳諧活動に励むことになるが、その間4年半ほどは全国各地を歩いている。
芭蕉が日本橋から深川に居を移した本当の理由はよくわからないが、町中の喧噪(俗世)を離れ、あえて隠棲に近い侘び住まいに入ろうと決意したことだけは確かなようだ。ただし芭蕉は生涯「遁世」はしなかったのであり、丈艸と比べると芭蕉の生き方は大きく異なっている。
草庵を結んだころ、芭蕉は当時深川の「臨川庵」に滞在していた仏頂禅師と出会っている。みずから「乞食の翁」とすらよび清貧に身を置くことで、先人の糧を得ながら独自の俳風を日々模索していたのであろう。

  「しばの戸に」詞書。
こゝのとせの春秋、市中に住侘て、居を深川のほとりに移す。「長安は古来名利の地、空手にして金なきものは行路難し」と云けむ人のかしこく覚え侍るは、この身のとぼしき故にや。
 
 しばの戸にちやをこの葉かくあらし哉  ばせを(続深川集)

さて次は南へ戻り、仏頂禅師所縁の「臨川寺」などを巡ることにした。

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