採荼庵-江戸の芭蕉8
清澄通りに出て南へ少し歩く。
満開間近の桜を横目に、仙台堀川の「海辺橋」を渡る。
この仙台堀川(仙台堀)から、芭蕉は船で隅田川を上り、千住を経て『おくのほそ道』の旅に出発したという。すでに芭蕉庵を引き払い(「草の戸も住み替はる代ぞ雛の家」)、このあたりにあった門人杉山杉風の別宅(実際はもう少し南)に居を移してから、西行忌500年の1689(元禄2年)年春に旅立ち、秋に美濃大垣を結びの地とした。出発したのは旧暦3月の末というから、すでに春も終わるころだったのであろう。
橋の南詰には、「採荼庵」の「作り物」が設えてあり、芭蕉旅立ちの像もあるが、写真を撮る気にはならなかった。説明の碑だけで十分なのにね、と友人が小声で呟いていた。
弥次喜多道中はここで上がりとなった。
1日中あちこち歩き回ったのは、芭蕉に関わる事蹟を見ることが主な目的だったけれども、終わってみれば、むしろ目的以外の場所で楽しめたことが多かった。
地下鉄に乗るために北へ戻ることにした。距離は多くはないが、朝から歩き続け暑さも加わってきて疲れが出てきた。橋を渡ったところに児童公園(清澄庭園)があり、二人とも倒れるようにベンチに腰をおろした。
公園の北側に更地の広場があり、そこに取り残されたように木蓮の木が立っている。「なんであそこに木蓮があるんだろう」、「整地するときに残したかも知れんな」などと互いにことばを交わした。帰るために立ち上がり、初夏のような青空のなかに揺れる木蓮の花を見上げ、シャッターを切った。
帰宅してから、あの木蓮のことが気になり、以前読んだ女性俳人の解説本に真砂女の句があったはずだと思い、探したのである。
なぜか、母によく叱られた幼いころの記憶がつぎつぎに蘇ってくる。
戒名は真砂女でよろし紫木蓮 鈴木真砂女
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