母の恋
ゆるやかに着てひとと逢ふ螢の夜 桂 信子 『月光抄』
今日は母の日。思い出すことがある。
今から40数年前、母方の祖母が亡くなった夏。
父は葬儀のあった日の夕方、翌日の仕事のためにひとり家に帰り、母と私は通夜に続き二晩目も実家に泊まった。当時高校最後の年だった私は、進路先のことで連日父と諍いがあった。その日も頑固な父のことについて母に愚痴をこぼしていたが、母は私の将来の夢を理解し応援してくれていた。
その夜母は唐突に自分の若いころの話を私に語ってくれた。父と結婚することに祖父母が最後まで反対していたというのである。初めて聞く話だった。
結婚前、実家の隣町で働いていた母は、よく通っていた蕎麦屋の跡継ぎと付き合いがあり、祖父母も当然二人は結婚するものだろうと思い込んでいた。
だがつまらないことで行き違いがあり、半年ほど二人は疎遠になっていたらしい。
ちょうどそのころ親族から母に見合い話があった。祖父母は母のことをずいぶん心配して断り続けたという。だが結局話は進んでしまい、父と結婚することになった。もちろん父との結婚は自分の望んだことであって、後悔などしていないとも話してくれた。
翌日帰宅するとき、実家から隣町までバスで行ったが、乗り継ぎの待ち時間があったので昼食をとることになった。母は町中に私を連れて行き、ある蕎麦屋の前を通り過ぎながら、「ここよ」とだけ呟いた。「ここよ」と呟いた人は、私の知っているそれまでの母ではなく、全く別の人にみえはじめた。母がもう母でないような淋しい気持ちを抱え込んだまま、家に帰るまで自分から母に話しかけることはどうしてもできなかった。
それにしても母はなぜあの晩自分の身の上話をしたのだろうか。
ひょっとして私をはじめて大人として扱ってくれたからだろうか。もうこれからは自分のことは自分で決めて進んでいけばいい、と言いたかったのか。
いやそんなわけではなかった。
通夜のとき遅くまで、母は祖父母との想い出を親類縁者と語り合っていたのを私は隣の寝室で聞いていた。父がいては話せなかったその「夜伽」の続きを母は語ってくれたのだ。夢現のまま閉じてゆく瞼に、ゆるやかに着て盆踊りに出かけたころの姿を懐かしく思い描きながら。
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