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2018年6月 7日 (木)

映画 『麥秋』

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          麦の秋(岐阜の実家近くで 2018年5月下旬)

昨日この地方も、「梅雨入りしたとみられる」とのこと。
栗花落(堕栗花)。梅の実の収穫も間近。

先週、実家の掃除のあと目の前に広がる麦畑を眺めていたとき、或る映画を思い出した。
小津安二郎の『麥秋』[1951(S26)年]。
そのラストシーンは、大和の山(嫁入り道中は三輪山、ラストは耳成山が背景)と初夏の麦畑だった。若いころ、小津映画は退屈でつまらなかったし、ほとんど関心の外にあったが、今になってはじめて気付くことや理解できることが多い。たとえばこの映画に出てくる高価なショートケーキ(千疋屋のものらしい)についても、何年か前にテレビのお菓子作りの番組で紹介されたことがあり、興味深いものがあった。

この映画には、『チボー家の人々』(Roger Martin du Gard)、そして『麦と兵隊』(火野葦平)の2冊の本が、どちらも紀子と謙吉との会話にでてくる。これらの本は、二人の交流にさりげなく、それでいて或る大切な意味をもたせている。
謙吉は紀子の次兄省二の親友であったが、省二は戦地から戻らなかった(母は彼がまだ生きていると思っているらしい)。謙吉が戦時中『麦と兵隊』を読んでいたころ、戦地にいた省二から来た軍事郵便に麦の穂が入っていたことを紀子に話し、紀子は「その手紙頂けない?」と言う。ニコライ堂近くにあるこの喫茶店での二人の会話は、とても短いものだが印象に残る場面のひとつだった。

多くの人が指摘するように、省二という人物が映画の中に全く登場していないことで、むしろ隠れた主役となっていた。だからこそ友人の死も含めた自身の従軍体験は、小津にとってどんな意味をもっていたのかは重要なことであろう。もちろん家族や人生についての幾つものテーマも含まれてはいるが。

それにしても映画の最後の場面は決して物語の世界のことではない。実家の前に広がる麦畑を眺めていたであろう父の姿がどうしても映画と重なってしまうし、今は私が、父と入れ替わってその風景の前に立っているのだから。
Photo

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