学生やこころ一途に
各務原市民公園(以前は岐阜大農学部の敷地 2018年7月)
大学の庭に觀にゆくボタンかな
学生やこころ一途に夏の雲
驛へ驛へ学生つづく猛り鵙
鈴木しづ子が暮らしていた那加の街の東隣には、新境川を挟んで当時大学があった。岐阜大学の農学部である。現在、学部はすでに岐阜市内へ移転(応用生物科学部に改編)しており、跡地は整備され各務原市民公園となり、市立中央図書館もある。
しづ子の句には那加の学生や大学の様子が詠まれているものが幾つもある。その大半は、前回の記事でもみたように、朝鮮戦争や講和問題、再軍備問題などに揺れる当時の世相を彼女なりに切りとっている。那加でもデモや集会、それに駐留米兵との衝突事件が起き、警官が発砲するという事案もあったという。その一方で、駅付近は夜ともなれば米兵や女たちであふれかえっていたのである。
川村氏の著作によると、しづ子は那加に来てからも町内で転居を繰り返していたというが、その範囲はいずれも鉄道の駅から500㍍ほどの距離内にある。彼女が住居を変えた理由のひとつは、恋人GIとの生活のためだったかもしれないし、ひょっとすると駅近くの喧噪を逃れたいと思っていたのかもしれない。当時の新聞記事によると、騒がしい夜の街は、下宿していた学生にとっても大きな悩みだったらしい。
下に大学や大学生を題材にした句を拾い出してみた。
彼女は高女卒業後は女子大進学を試みていたともいわれる。叶わなかったが、そんな屈折した心情も句の裏に読み取ることができる。
学生集会の様子を遠くから眺め、その主張に耳を傾けているしづ子の後ろ姿が目に浮かんでくる。
学生として交るや一つ思想 春燈下をんな学生混へつつ
高女卒とは名のみばかりに八重桜
大学の事件増えゆく雨の鵙 闘爭の許さるべきや雨の鵙
鵙の降り農科大学事をもち 統ぶるすべざる思想捲き散る
学園の自由と題し夏の雲 メーデーにことよせ騒ぐすべもなし
学問に痩せて晩夏の月の前 教授夫人片蔭をやや急かされて
新境川に架かる「吾妻橋」(西側が那加の街、東側に大学があった。)
現在のJR那加駅:手前の踏切は名鉄線。
このすぐ左(西側)に名鉄新那加駅がある。
参考文献(8月16日記事に掲載)
掲句は昭和27年の大量句より。
しづ子の足跡は、川村蘭太の前掲書による。
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