桐箪笥

誕生日母に貰ひし足袋はきぬ 桂信子 『月光抄』
実家にほとんど家具類はないけれども、一棹の小さな桐箪笥だけは残している。三段ある抽斗には、和服や帯、足袋、小物などが収められ、洋服は整理できても和服だけは手を付けることができず、母が家を空けてから、畳紙を開けることさえこれまで全くできなかった。それがなぜなのか、うまく言葉にはできないが、帯や足袋もふくめ、和服にはそれを身に付けたひと、あるいは仕立てたひとの何かが宿っているかのような気がしてならない。
先月のことになるが、まるで秘密の扉でも開けるように、畳紙の紐を解きながらすべての着物を確かめてみた。ほとんどが自分の記憶にある柄の母のものだったが、何本かの帯のうち一本の畳紙に「母より」と鉛筆書がしてあった。むかし祖母から貰い受けたものだったようだ。それははじめて知ることであった。
さらにいちばん下の抽斗をみると、男物が一着、それに長襦袢と羽織、帯二本がいっしょに入っていた。父が和服を身に付けていたという覚えはないので一瞬不思議な気がしたが、忘れていた大切な記憶がすぐ蘇ってきた。
15年ほど前のある日、一着あつらえてみようかねえ、という話が母からあって寸法を測ってもらったものの、程なくしてちょうど父が最後の入院をしたころと重なり、着物の話どころではなくなってしまった。父が旅立ったあと、母も入退院を繰り返し、ついに実家に戻ることができなかった。着物にはまだ仕付け糸がある。たしか、仕上げは自分でやるからいちど実家に来るようにという話もあったが、それ以来この着物の時間は止まったままになってしまったのだ。
きのう施設の母に会ってきた。お互いの記憶や思い出を共にしながらの話は、もうここ数年できなくなっているので、「今」「ここ」で互いに感じていることだけでも話題にできれば楽しい時間となるが、それもしだいに難しくはなっている。
あの着物の話もしてみたものの、内容をどこまで理解してくれたかはついにわからないままだった。ところが帰り際に母の指がゆっくり動き始めた。寝たまま、しきりに指を胸元の布団に添えながら縫う仕草をしていた。指が動いたのはほんのわずかな時間だったが、たぶん着物という言葉からなにかを感じとってくれたのかもしれない。
また来るねと言うと、柔らかな笑みをうかべながら、もう行くのか、気をつけてな、といういつもの言葉を返してくれた。
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