Yesterday
10日ほど前、母を見送った。苦痛の色もなく、安らかな卆(卒)壽の大往生だった。
息を引き取るまでのあいだ、母の側でぼくは "Yesterday" のメロディーを思い浮かべていた。ぼくが高校生だったころから母はこの曲を好んで聴いていたし、晩年になって施設に入ってからも Beatles のアルバムを手許に置いていた。
数年前、この曲についてあるひとが書いたものを読んだことがある。
そこには、Paul が14歳のときに母親を病でうしなったこと、そして、作った当時は思っていなかったが、今振り返ると実は曲に母を慕う気持ちが込められていたのではないか、という彼の証言が紹介されていた。そしてメンバーの John もまた、17歳のとき不慮の事故で母を亡くしていたことも付け加えられていた。
その詩をみれば、誰もが失恋の歌としか解釈できないだろうが、she を母と読み替えることもたしかにできないわけではない。この曲は夢のなかで曲想を得たという話もあるので、意識の奥底で母を偲びながら作られたのかもしれない。
英語を理解できないぼくの母が、なぜこの曲を愛していたかはもちろんわからないが、ひょっとして Paul が(無意識に)亡き母を思いながら作っていたのであれば、その曲調になにかを感じとっていたと考えるしかない。そういえば母がこの曲を聴くようになった時期は、祖母が亡くなったころと重なっている。
葬送の日、実家近くの山々を眺めると、椎の木が、まるで満開の桜のように黄金色の花を咲かせ、薫風に揺れていた。
母はその景色に見送られるように旅立っていった。
困難な時代を経験したが、いつも智慮深く、強く善く生き抜き、
微笑みを絶やさない、可愛らしいひとであった。