« 2019年6月 | トップページ | 2019年8月 »

2019年7月

2019年7月20日 (土)

おはぐろとんぼ

Photo_20190719183601
  ハグロトンボ♂  2019年7月19日(犬山市富岡付近)

おはぐろの方三尺を生きて舞ふ 邊見京子『合本俳句歳時記』四版

蝶の如く優雅に飛ぶ、いや、やはり舞うといったほうがいいかもしれない。
幼いころ郡上の実家でよく川遊びをした。せせらぎ、鮎の香、そして黒い翅の蜻蛉。従姉妹たちはそれを「川とんぼ」といっていたので、長い間そう思い込んでいたが、「かわとんぼ」には幾つか種類もあるらしい。
はぐろとんぼは、「鉄漿蜻蛉(おはぐろとんぼ) 」とか「御精霊蜻蛉(おしょらいとんぼ)」、「神様蜻蛉」などともいう。ただし「精霊とんぼ」といわれる種類ははぐろとんぼに限らない。


おはぐろとんぼ、という呼び名は宇江佐真理の「おはぐろとんぼ 稲荷堀」を読んだときにはじめて知ったのだとおもう。短い話だが、江戸の料理茶屋の板場で働く料理人たちを情感豊かに描いていた。同じ本の五話目「御厩河岸の向こう 夢堀」も印象にのこる。
彼女が亡くなってからもうすぐ4年になる。

きのう買い物帰りの昼、道路沿いの小さな林の周辺でハグロトンボにカメラを向けた(今月5日のときは林の奥のほうに♀が潜んでいたが、今回は林の出口あたりに♂ばかりが飛んでいた)。
はじめは警戒するような動き方だった。しかし時間が過ぎると、カメラを近づけても逃げなかったり、むしろこちらに寄ってくるものさえいた。その動き方や閑かな林の雰囲気もあって、まだお盆までには間があるのに、これはやはり精霊の遣い
なのかもしれないとおもいはじめた。
遠くで蝉が鳴いたような気がした。そろそろ梅雨も明ける。

    Photo_20190720203801
          ハグロトンボ♀  2019年7月5日(犬山市富岡)
  Photo_20190722182401        
      ハグロトンボ♀  2019年7月20日(犬山市富岡)
参考

「おはぐろとんぼ 稲荷堀」 
    
『おはぐろとんぼ 江戸人情堀物語』所収 
   宇江佐真理 実業之日本社文庫 2011年



| | コメント (0)

2019年7月 8日 (月)

合歓の花と白秋 ②

北原白秋が90年前の犬山城天守から見た合歓木は、今もあるのかどうか確かめてみた。
平日なので比較的人は少なかったが、台湾から来たという家族旅行の人たちがいた。小さな子どもが急勾配の梯子のような階段に両手両足をいっぱい広げて挑戦していたので、その後姿を見守りつつ自分も足を踏み外さないようにゆっくり昇っていった。

ちかぢかと城の狭間より見おろしてこずゑの合歓のちりがたの花

北原白秋は合歓木を「二層目」で見たと記しているが、どの方角に見えたとは書いていない。ともかく甍の見える「狭間(さま)」を探さねばならない。そもそも天守の構造が複雑で、「二層目」といっているのは外観上のことであり、天守内部では「二階・三階」にあたるところだ。
まず二階に来て、幾つかの「狭間」から外の景色を覗いた。
犬山橋を望む東側の狭間のうち、川に近い窓から見えた景色が下の写真。瓦屋根の向こうに、なにやらベージュの小さなかたまりが目に入る。
Photo_20190703214201 
カメラのファインダー越しにところどころ花らしきものも見える。
Photo_20190703214301 
まちがいなく合歓木。
Photo_20190703214302 
このあと三階にも行ったが、残念ながら合歓木を見ることはできなかった(というより狭間が閉じられていた)。
白秋が城に来たのは、8月4日と『白帝城』に記されている。歌には「合歓のちりがたの花」とあるから、8月のはじめともなれば、やはり花の終期であったにちがいない。

際に城に登って観たあと、遠くから合歓木を確認するために瑞泉寺まで行った。それが下の写真で、天守から東に約800㍍離れた瑞泉寺の霊苑から撮ったものだが、合歓木(↓)と天守の位置関係がよくわかる(拡大可)。『白帝城』では、合歓の花が二層の「入母屋の甍」に見えたとあるから、彼が覗いたのは、この写真でいえばおそらく天守の中央付近にある三階の狭間ということになるが、上に記したように今それは閉じられていて、当日は合歓木に近い二階の小さいほうの狭間からのみ眺めることができた。
Photo_20190707173501

おそらく90年の間に城周辺の樹木が剪定されたり、切られて背が低くなったりしたであろうから、白秋の見た合歓木が今日見えた木と同じものだとはいえないけれども、天守のすぐ近くに合歓木があることだけは確かめることができた。ひょっとすると当時の合歓木は、入母屋の甍付近までもっと背が伸びていたと考えた方がいいのかもしれない。
実は、ひとつ階段を下って一層にも同じ方角を望める狭間があって、そこのほうが合歓木をより近く見ることができた。だが甍も見えず、ただ小窓から覗いただけの合歓の花は、なんとなく味気ない。やはり白秋が「入母屋の甍」に見た合歓の花は、二層(三階)からの眺めでなくてはならないし、天守の甍と合歓木の組み合わせが白秋の歌心を揺り動かしたのであろう。

なお、白秋の歌集『夢殿』上巻の「木曽長良行」にある「犬山、白帝城」では次の三首(一首目は『白帝城』のもの)をみることができる。どれも合歓を詠っている。

ちかぢかと城の狭間より見おろしてこずゑの合歓のちりがたの花

閑かなる城とおもふをあわれなり日でりはげしく合歓ぞほめける

入母屋の甍ににほふ合歓のはな犬山の城は白く久しき

たぶん暑いだろうが、8月の「ちりがたの花」を見てみたい。

なんと、犬山城は改修工事のため今年7月中旬から12月末まで天守全体が工事用幕に覆われてしまうらしい。この間は2階まで無料で入れるらしいが、8月の合歓の花を見るのは来年にお預けなのか(7月13日追記)。

| | コメント (0)

2019年7月 3日 (水)

合歓の花と白秋 ①

先月の記事で合歓の花のことを書いたが、それいらいなぜか合歓木と「犬山城」のことが頭のなかで絡み合い、その結びがどうしても解れないので、きっとどこかで読んだ文章の記憶があるからにちがいないとおもい、パソコンを前にして「犬山 合歓木」と打ち込んで検索してみた。
すると北原白秋の紀行文『白帝城』(犬山城)のことが出てきたので、やはりそうだったかとようやく気持ちが落ち着いたのである。


ちかぢかと城の狭間より見おろして
              こずゑの合歓のちりがたのはな


1927(昭和2)年夏、北原白秋が木曽川や犬山城に来ている。
そのときの紀行文が『白帝城』(原題「木曽川」)なのだが、白秋のこの文章のことを知っている犬山在住のひとはたぶん多いとおもう。たとえば犬山城を紹介する観光案内などにもこの文章から引用して、犬山城は「木曽川(日本ライン)の白い兜」などと書かれている。

その紀行文は上にあげた「ちかぢかと」の歌で結ばれているが、文中
犬山城天守から見えた合歓の花のことが次のように描かれている。

私は更に俯瞰して、二層目の入母屋の甍に、ほのかに、それは奥ゆかしく、薄くれなゐの線条の合歓(ねむ)の花の咲いてゐるのを見た。樹木の花を上からこれほど近く親しく観ることは初めてである、いかにも季節は夏だと感じられる。」

犬山城に登ったことはあっても、たいていは春や秋。城と結びつくのは梅、桜そして紅葉ばかりで、夏の城はまったく印象にのこっていなかった。そこでひょっとしたら90年ちかい昔に白秋が観たという合歓木が、
はたして今もあるのかどうかすぐ行って確かめてみようと出かけたのである。
そのときのことは、後日また。

2
             3/July/2019 
       犬山城天守入口東の「大杉様」(枯れ木)に
       寄り添うノウゼンカズラ(凌霄花)。
       クロアゲハが立ち寄り、お腹いっぱいになって
       近くのカエデの木で休憩していた。
 


| | コメント (0)

« 2019年6月 | トップページ | 2019年8月 »