合歓の花と白秋 ①
先月の記事で合歓の花のことを書いたが、それいらいなぜか合歓木と「犬山城」のことが頭のなかで絡み合い、その結びがどうしても解れないので、きっとどこかで読んだ文章の記憶があるからにちがいないとおもい、パソコンを前にして「犬山 合歓木」と打ち込んで検索してみた。
すると北原白秋の紀行文『白帝城』(犬山城)のことが出てきたので、やはりそうだったかとようやく気持ちが落ち着いたのである。
ちかぢかと城の狭間より見おろして
こずゑの合歓のちりがたのはな
1927(昭和2)年夏、北原白秋が木曽川や犬山城に来ている。
そのときの紀行文が『白帝城』(原題「木曽川」)なのだが、白秋のこの文章のことを知っている犬山在住のひとはたぶん多いとおもう。たとえば犬山城を紹介する観光案内などにもこの文章から引用して、犬山城は「木曽川(日本ライン)の白い兜」などと書かれている。
その紀行文は上にあげた「ちかぢかと」の歌で結ばれているが、文中犬山城天守から見えた合歓の花のことが次のように描かれている。
「私は更に俯瞰して、二層目の入母屋の甍に、ほのかに、それは奥ゆかしく、薄くれなゐの線条の合歓(ねむ)の花の咲いてゐるのを見た。樹木の花を上からこれほど近く親しく観ることは初めてである、いかにも季節は夏だと感じられる。」
犬山城に登ったことはあっても、たいていは春や秋。城と結びつくのは梅、桜そして紅葉ばかりで、夏の城はまったく印象にのこっていなかった。そこでひょっとしたら90年ちかい昔に白秋が観たという合歓木が、はたして今もあるのかどうかすぐ行って確かめてみようと出かけたのである。
そのときのことは、後日また。
3/July/2019
犬山城天守入口東の「大杉様」(枯れ木)に
寄り添うノウゼンカズラ(凌霄花)。
クロアゲハが立ち寄り、お腹いっぱいになって
近くのカエデの木で休憩していた。
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