合歓の花と白秋 ②
北原白秋が90年前の犬山城天守から見た合歓木は、今もあるのかどうか確かめてみた。
平日なので比較的人は少なかったが、台湾から来たという家族旅行の人たちがいた。小さな子どもが急勾配の梯子のような階段に両手両足をいっぱい広げて挑戦していたので、その後姿を見守りつつ自分も足を踏み外さないようにゆっくり昇っていった。
ちかぢかと城の狭間より見おろしてこずゑの合歓のちりがたの花
北原白秋は合歓木を「二層目」で見たと記しているが、どの方角に見えたとは書いていない。ともかく甍の見える「狭間(さま)」を探さねばならない。そもそも天守の構造が複雑で、「二層目」といっているのは外観上のことであり、天守内部では「二階・三階」にあたるところだ。
まず二階に来て、幾つかの「狭間」から外の景色を覗いた。
犬山橋を望む東側の狭間のうち、川に近い窓から見えた景色が下の写真。瓦屋根の向こうに、なにやらベージュの小さなかたまりが目に入る。
カメラのファインダー越しにところどころ花らしきものも見える。
まちがいなく合歓木。
このあと三階にも行ったが、残念ながら合歓木を見ることはできなかった(というより狭間が閉じられていた)。
白秋が城に来たのは、8月4日と『白帝城』に記されている。歌には「合歓のちりがたの花」とあるから、8月のはじめともなれば、やはり花の終期であったにちがいない。
実際に城に登って観たあと、遠くから合歓木を確認するために瑞泉寺まで行った。それが下の写真で、天守から東に約800㍍離れた瑞泉寺の霊苑から撮ったものだが、合歓木(↓)と天守の位置関係がよくわかる(拡大可)。『白帝城』では、合歓の花が二層の「入母屋の甍」に見えたとあるから、彼が覗いたのは、この写真でいえばおそらく天守の中央付近にある三階の狭間ということになるが、上に記したように今それは閉じられていて、当日は合歓木に近い二階の小さいほうの狭間からのみ眺めることができた。
おそらく90年の間に城周辺の樹木が剪定されたり、切られて背が低くなったりしたであろうから、白秋の見た合歓木が今日見えた木と同じものだとはいえないけれども、天守のすぐ近くに合歓木があることだけは確かめることができた。ひょっとすると当時の合歓木は、入母屋の甍付近までもっと背が伸びていたと考えた方がいいのかもしれない。
実は、ひとつ階段を下って一層にも同じ方角を望める狭間があって、そこのほうが合歓木をより近く見ることができた。だが甍も見えず、ただ小窓から覗いただけの合歓の花は、なんとなく味気ない。やはり白秋が「入母屋の甍」に見た合歓の花は、二層(三階)からの眺めでなくてはならないし、天守の甍と合歓木の組み合わせが白秋の歌心を揺り動かしたのであろう。
なお、白秋の歌集『夢殿』上巻の「木曽長良行」にある「犬山、白帝城」では次の三首(一首目は『白帝城』のもの)をみることができる。どれも合歓を詠っている。
ちかぢかと城の狭間より見おろしてこずゑの合歓のちりがたの花
閑かなる城とおもふをあわれなり日でりはげしく合歓ぞほめける
入母屋の甍ににほふ合歓のはな犬山の城は白く久しき
たぶん暑いだろうが、8月の「ちりがたの花」を見てみたい。
※なんと、犬山城は改修工事のため今年7月中旬から12月末まで天守全体が工事用幕に覆われてしまうらしい。この間は2階まで無料で入れるらしいが、8月の合歓の花を見るのは来年にお預けなのか(7月13日追記)。
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