内藤丈草一族の墓碑(1)
淋しさの底ぬけてふるみぞれかな 丈艸
久しぶりになるが、内藤丈草(丈艸)について。
内藤丈草自身の墓碑は、現在確認できるものとしてはひとつだけである。
それは、義仲寺に近い近江膳所(滋賀県大津市馬場)の「龍ケ岡俳人墓地」にある。そこは丈草の庵「佛幻庵」があったとされる場所(正確にはわからない)にほど近いところであるらしいが、このブログでも以前の記事(→★)で俳人墓地のことを記し、丈草の墓碑・経塚の写真を添えた。
さらに丈草の出身地である犬山にも墓碑があったことは『犬山視聞図絵』の「瑞泉寺」の条で確認できる。しかし内藤家の菩提寺であった瑞泉寺塔頭「南方庵」は明治には廃されており、残念ながら丈草自身の墓碑は犬山では確認できていない。(現在の瑞泉寺中門右にある「丈艸座元(ぞげん)禅師」銘の石碑は、地元犬山の俳句結社の有志が明治36年に建てたものである。以前の記事参照→★)
だが丈草の親兄弟の墓碑については、丈草研究家だった市橋鐸氏が、昭和初期に犬山の瑞泉寺にある内藤家の墓所を写真と共に紹介しており(『丈艸聚影』第一輯 昭和6年)、彼の丈艸関連本にも、一族の墓について詳細な記述がある。
数年前から、一族の墓碑を見てみたいと思って瑞泉寺の墓苑を自分なりに探してみたが、過去の墓地整理などもあって容易なことではなかった。ただ唯一あったのは、丈草の義弟「内藤第八」と推定できる墓碑(*)のみであり、他の一族の墓については寺の関係者に聞いても不明とのことであり、昭和初期に市橋さんが確認した25基の内藤一族墓碑のうち第八以外の24基の行方はまったく謎のままであった。
そうしたなか昨年の夏、自分自身にかかわることをきっかけにして、丈草の父や義母、兄弟たち一族の墓碑の行方をようやく捜し当て、現存することを確認できたのである。その経緯も含め、これからときどき記してみたいとおもう。
今回は、丈草の父「内藤源左衛門」の墓碑(2基)の写真だけを紹介する。
左右とも:内藤丈草の父「源左衛門」の墓碑。2019年5月撮影
左:「歸真體然好本信士霊位」(宝永四年・1707年)
「好本」は源左衛門の隠居名。
右:「内藤源左衛門尉本守神主」
市橋さんによれば儒葬墓だとのこと。
*「内藤第八」の墓碑のことは改めて記す。
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