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2020年6月

2020年6月22日 (月)

明智が妻の咄しせむ

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   西教寺 明智光秀の妻の墓碑(Nov./2019 大津市坂本)

月さびよ明智が妻の咄しせむ
 芭蕉『俳諧勧進牒』

近江の西教寺に明智一族の墓があり、光秀の妻もここに眠っている。彼女は牢人時代の夫を陰で支えるためにずいぶん苦労したと伝えられるのだが、子の細川ガラシャのほうが名を歴史にとどめた。

よく知られたこの句は「おくの細道」の旅の後、芭蕉が伊勢に立ち寄ったとき、門人の「又玄(ゆうげん)」宅を訪れて詠んだもの。ふたりのもてなしにいたく感動し、門人の妻の心配りに感謝しつつ光秀の妻の話を引き合いにした吟である。伊勢の御師であった又玄は、そのころ同業者との張り合いもあって生活に貧していたらしく、妻の支えを賞しつつ彼を励ます意味もこの句には込められていたらしい。
世のひとが謀反人として光秀をみることの多かったなか(芭蕉の活躍した17世紀後半の光秀像は実際よくわからないが)、芭蕉がむしろ光秀をその妻とともに顕彰していたことは確かだ。「おくの細道」で越前にも立ち寄っている芭蕉は、牢人時代の光秀のことも現地(称念寺など)で伝え聞いたのかもしれない。もちろん牢人時代も含め光秀に関わる話には伝承が多く、確固たる史実の裏付けがあるのかどうかはよく知らない。

だが木曽義仲の眠る「義仲寺」に自分の墓をもうけたことからしても、いわゆる英雄ではなくむしろ悲運の人物にこそ芭蕉は心を寄せていたのだろう。芭蕉とは、そういうひとであったとおもう。

例のドラマではすでに道三はこの世を去り、信長は桶狭間の合戦にも勝った。美濃国も信長に早晩呑み込まれ、稲葉山城は岐阜城と名を変える。これまでのところ、光秀役は能でいうところの「ワキ」役に徹しているのも面白い。
しばらくは、あの秀逸なオープニング映像と曲で我慢我慢。→★


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2020年6月 1日 (月)

仮住まいへ

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               11/Apr./2020 (犬山市内木曽川堤防)

もうすぐ転居。その回数を数えてみると、生まれてから「16回目」。
といっても今回は建て替え後の10月にはまた戻るので、転居というのではないのかもしれない。それにしても家具を含め、ずいぶん多くの家財をこの機会に棄てた。新しい家に戻る物が何も無いくらいに。

この家には34年間住んだが、ここへ来る前14回の転居は20歳代までのことだから、およそ2年に1回は居所を変えていたことになる。知り合いは「今さらなぜ?」と驚くが、家自体がくたびれているし、そういう時期が来たのだとしかいえない。
たしかにこの年になっての引越作業はとてつもなく辛かったものの、怠惰な自分には「身ほとり」のものすべてを見直す貴重な時だった。

とにかく無事に家が建ちますように。

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     May/2019 継鹿尾観音「寂光院」(犬山市)



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