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2020年7月 9日 (木)

内藤丈草一族の墓碑(2)

幸いなことに丈草の書簡は幾つか伝えられている。
なかでも親族宛のものは、情愛に満ちた水茎の跡とその行間に心が動く。
昨年冬に膳所の義仲寺を訪れたとき、特別展示された彼の書簡を見ることができた。その場では全く意味不明であったが、帰宅後『蕉門俳人書簡集』(*1)、『蕉門俳人年譜集』(*2)などを参考にしながら読み解いてみた。

写真:義弟の内藤常右衛門(恒右衛門)宛「丈草書簡」(拡大可)
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宛名の常右衛門は丈草の義弟「恒右衛門」のことである。本来ならば遁世した兄丈草に代わって次男の彼が内藤家の継嗣となるのが自然だが、なぜか新家を立てて独立し、同じく義弟の四男(三男の説あり)儀左衛門が内藤家当主となった(元禄12年)。この書簡の差し出し場所は膳所の丈草の庵「仏幻庵」からであろう。書簡は元禄10(1697)年のものと推定されており、庵は前年に建てられた。

挨拶や近況報告のあとに、両親、弟たち、従兄のことを気遣うことばが続く。正確さを欠くだろうが自分なりに読んでみた。

「・・・この冬は、持病が出ることはなく、今さら急に悪くなる(死ぬ)こともないでしょう。住まいについてはようやく落ち着き、これまで住んでいた庵を手に入れ、当分は自分のものとなりました。これからはここの住人になります。
もとより自分は一処不住の覚悟でおりますが、病の身ではそんなことも言っておられず、ここでは何かと相談・語り相手の隣人が多いので安心できます。
お年を召された父上と母上の身を何よりも案じておりますので、どうか少しでも心安らかにお過ごしくださるよう願っております。
そのほかは特別お伝えすることはありませんが、江戸(おそらく犬山城主成瀬家の江戸屋敷)の弟たちはどうしているでしょうか。連絡する機会がありましたらよろしくお伝えください。
後日(京から)お便りさし上げますこと、予めご連絡しておきます。
どうか皆様もお元気でよいお年をお迎えください。ご自愛のほど。
    霜月二十一日 丈草 (花押)
内藤常右衛門殿

 さびしさの底ぬけて降るみぞれ哉
 風雲やしぐれをくゞる比良表

そなたの知り合いにもこの消息のことを伝えてください。
(従兄の)三太夫様・ご一同様にもどうかよろしくお伝えください。」

           Photo_20200709110201
        (*3)内藤恒右衛門(常右衛門)の墓碑
       「安心是休信士位」宝永7(1710)年没
          2019/06/02撮影(犬山市)
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        (*3)内藤儀左衛門本好(夫婦)の墓碑
           「本覺了心居士」享保13(1728)年没
             2019/06/02撮影(犬山市)
記:
*1 『蕉門俳人書簡集』 飯田正一編 桜楓社 昭和47年
*2 『蕉門俳人年譜集』 石川真弘編 前田書店 1982年
*3 内藤家の墓碑に関する詳細は後日まとめて記す。
  

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