涙の図書館(3)
(承前)
筆者の援護局職員は、おそらく南方で従軍していた軍関係者であったかもしれないし、少なくとも南方抑留者の実態を何らかのかたちで知っていたひとにちがいない。
抑留されたひとたちの収容所と労働の状況は、たとえば父の所属した連隊の戦友会誌に多くの体験話が回顧されている。泥水で渇きを癒やし、動くものなら何でも口にしたかったという父の話を聞いたことがあるが、それはむしろ戦争が終わって抑留生活が始まったころのことであった。また、いわゆる詔勅のあった8月15日は、父の連隊が属した南方軍の「戦闘」が終わった日ではなかった。その武力行使の停止は8月25日零時(大陸命第1388号)であり、父の連隊が武装解除となったのは9月28日である。8月15日のその日、父の連隊では一度に11名のひとが戦死し、さらに父も関わった辛い出来事は8月下旬になってからである。
おもえば、父の足跡を本格的に調べ始めるきっかけが、この「局史」との出会いであり、今もなお父の回想記と向き合い続けているのも、「宿舎」の文章があったからだろう。もし「宿舎」を読まなかったら、「局史」は単なる史料のひとつでしかなかったし、あの時代を生きていた父をさらに理解しようとおもうこともなかったにちがいない。
戦争や歴史認識などの問題を、かつては大上段に構えてひとと議論したことは度々あったが、かりに父と真正面から論ずるようなことがあったとすれば(それはついになかったが)、おそらく互いの考え方がかみ合うことなどなかったかもしれない。戦争や歴史の問題の考え方には、父と自分とのあいだにまちがいなく大きな溝があるし、これからもあり続けるだろう。
そうではあるが、「宿舎」を読んだとき、宇品に生還した24歳の父の姿が瞼に浮かび、自分もまた「萬感交々胸に逼るもの」が去来したからこそ、どうしても涙を抑えることができなかったのである。やはりその「萬感」や父が終生忘れなかった「広島・宇品」を抜きにして、あの時代に向き合うことは今の自分にはできないのである。
〇父の帰還船:英軍病院船「オックスフォードシャー号」
その詳細は「海の陸兵」→ HMHS Oxfordshire 参照
© IWM (FL 17221)
http://media.iwm.org.uk/iwm/mediaLib//19/media-19704/large.jpg
This is photograph FL 17221 from the collections of the Imperial War Museums.
File:Hmhs Oxfordshire FL17221.jpgHmhs Oxfordshire At a quay.