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2020年8月15日 (土)

涙の図書館(1)

出 陣 や 櫻 見 な が ら 宇 品 ま で  正岡子規

今の時世、多くの図書館ではその本来の機能が失われているようにみえる。やむを得ないこととはいえ、本に囲まれる閲覧室でゆっくり頁を開いたり、背表紙を眺めるだけでわくわくするような時間を過ごすことができないのは、本当に残念なことだ。大学図書館では学外のひとたちの利用を制限しているところもあって、このところ図書館通いは控えるようになってしまった。はやく以前のようなオープンな図書館に戻ることを祈るしかない。

そんなわけで、或る事について書きたくなった。
だがその前に少し父のことを記さねばならない。

広島・宇品は7年の軍務を終えて父が復員した港であり、戦時中も2か月ほど訓練で派遣されている。宇品港は子規の俳句にもあるように、日清戦争以来軍港となり、戦争のたびに幾多の将兵を送り出したところだった。
父がシンガポールから復員したのは昭和22年1月だが、復員列車に乗るために宇品から広島駅へ行く途上で見た市街の光景は、全く言葉にならなかったという。たしかに復興の槌音は聞こえつつあったとはいえ、被爆の惨状を晒す市街を目の前にして、自分がいた戦場よりも内地こそ本当の戦場だったのではないか、というのが父の実感であった。
戦後も度々広島・宇品へ足を運んでいたのは、自分の体験を決して忘れないよう何度も自分に言い聞かせていたからだろうと思う。
(父のことは別ブログ「海の陸兵」、とくに Ⅷ 復員を参照してください。)

今から7年前、広島の宇品、比治山などを訪れた。広島を訪れるのは何回目かではあったが、父が書き遺した回想記を当時編集していたころで、父が帰還した宇品についてもっと知りたいと思っていた。
その帰りに「広島県立図書館」に立ち寄ったのは、どうしても調べてみたい史料があったからだ。
もちろんこの図書館でなくても閲覧することはできるが、やはり広島の地で、そして父にとって大切な場所「宇品」に来た日に手に取ってみたかったのである。
それは復刻本「宇品引揚援護局史」(『海外引揚関係史料集成』第6巻 ゆまに書房 2001年)。わずか2年余りのこの援護局の活動を当事者が公的に記録したものである。
もしかしたら父の帰還船だった英軍病院船「Oxfordshire号」のことが記されているかもしれないとの期待もあった。

文章の原本はすべて手書きの謄写版である。誠実に、丁寧に、あたかも石に刻まれたように記された文字一つひとつからは、援護局関係者の活動と苦労が偲ばれるとともに、戦地や旧植民地から帰還したひとたち、あるいは解放された新天地へと送出されるひとたちの動向が記録されていた。ある意味で全国の引揚援護局は、敗戦で崩壊した大日本帝国の葬送の地であったのかもしれない。

さいわい英軍病院船 Oxfordshire号 が宇品に寄港した記録もあり、当時の援護局施設の様子も詳しく図示されていた。今まで父の回想記のなかでしか知らなかったことが史料・史実として確認できたことはとても嬉しいことだった。

だがこの本はそれだけではなく、自分にとってさらに特別な意味を与えてくれたのではないかと考えるようになった。


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