ぐい呑み
薔薇挿せども空瓶になほ洋酒の香 桂 信子
実家の整理をしていて今だに手が付けられないものは、茶器・茶碗、母愛用のぐい呑み・グラスなどの酒器。
茶碗やぐい呑みは、ほとんどが地元の織部や志野といった美濃焼ばかりだが、なかには旅先で手に入れたらしいのも幾つかある。
父はまったくの下戸、というよりも酒嫌いのひとであった。それは軍隊(抑留)時代のエピソード(元上官の手記→★「父のクリスマス」)でもわかるし、戦後の仕事も緊急時は夜勤があたりまえだったから常に酒を遠ざけていた。そもそもひとの「酔態」というものを嫌っていたのは、ひょっとすると実直な職人の家で育ったことによるのかもしれない。
母はというと、そんな父を横目に酒を愉しんでいた。そういえばそうだったと気付いたのは、先日今年初めて紅茶に一滴入れたときのことだから、例の「プルースト効果」だったにちがいない。
シンク下の扉奥には、醤油瓶などで隠すようにして赤玉、日本酒や毎年つくる梅酒、何やら正体不明の果実酒などがいつも鎮座していたし、時折母ひとり晩酌していたのも、小さい頃からあたりまえの風景だった。ただし酒にことさら執着していたというふうでもなかった(もちろん「昼の母」というのは謎だが)。
酒の粋な嗜み方を心得ていたのは、やはり百姓禰宜だった祖父譲りであったやもしれない。
だが還暦を過ぎてからすこし体調を崩すと、母は何の未練も残すことなくアルコールを断ち、酒器の類いは居間のサイドボードで眠ることになった。
※冒頭句のほかに、桂 信子の「昼の酒」2句
昼の酒はなびら遠く樹を巻ける
葉牡丹や女ばかりの昼の酒
たぶん伊賀焼、冷えた『魚沼』を酌んでみた。
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