内藤丈草一族の墓碑(4)
内藤丈草一族の墓碑をこれまで3回続けてみてきたが、ここであらためて丈草一族についてまとめておく。以前記した系図(→★)などもあるが、それを補足・修正のうえ整理した。
なおこれまでに参考にした文献等をまとめて末尾に記す。
→★は過去の記事に写真がある。
[1]丈草の祖父・伯父・伯母・従兄等
祖父:内藤仁右衛門、先祖は甲斐の出身。越前へ移り、のち尾張へ。
伯父:内藤平兵衛
子の三太夫(従兄)は丈草書簡にもたびたび出てくる。
他に女子「まつ(了雲院)」と「窓月童女」。
伯母:松壽院(墓碑は名古屋の養林寺)→★
犬山城主成瀬正虎(墓碑は犬山市の臨渓院)の側室。
尾張藩重臣寺尾直龍の母。
*直龍の墓は臨渓院の墓苑(犬山市)にある。→★
[2]丈草の父母、義弟・義妹。(犬山市内に墓碑のある者は青字)
父:内藤源左衛門(隠居名は好本)→★
母:妙順
長男丈草(林右衛門)を産み、3年ほどで死没。
継母:祖庸→★
下記の7人の男子(推定)、3人(4人?)の女子をもうける。
次男:内藤恒右衛門(常右衛門とも)→★
新家をつくり、代々「源左衛門」名乗る。
三男:委細不明だが、志村家の養子となった可能性あり(『士林沂洄』)
四男:内藤儀左衛門(本好)→★
内藤本家を継ぐ。代々儀左衛門を名乗る。
五男:内藤茂助
六男:正順(近江膳所の光源寺僧侶か?)
七男:内藤甚蔵
八男:内藤第八
子は「内藤左膳済民」と「内藤此面樹恒→★」
ふたりとも若くして死没。養子も病のため御暇・家断絶。
女子:秋夢童女
女子:幻質童女(市橋さんは「童子」と読んだが、やはり童女である。)
女子:つる、委細不明(嫁ぎ先等も)
女子:委細不明。名古屋養林寺に「花月露心信尼」の位牌。
前回(3)でみたように、瑞泉寺本堂には父の源左衛門と継母の祖庸、甥の此面樹恒の位牌がある。また、八男「第八」の墓碑は瑞泉寺の霊苑に、他の墓碑は別院に移されている。
これまで紹介できなかった墓碑のうち、丈草の義弟と義妹、従姉妹のもの4基紹介する。なおこれら以外に丈草との続柄が確認できない内藤家所縁の墓碑は次回にまわす。
七男 内藤甚蔵の墓碑
碑銘「智嶽宗勇禪定門」
没年:1706(宝永3)年
八男 内藤第八夫妻の墓碑
碑銘「恱源曠怡居士」
「要道妙玄大妹」
両者の没年:1756(宝暦6)年
*第八の墓碑は瑞泉寺墓苑にある。一族の墓碑ではこれのみ
が墓苑に残された。なお碑の背面には「俗名内藤第八中」
とある。
丈草の義妹:「秋夢童女」
没年:1675(延宝3)年
丈草の義妹 「幻質童女」
没年:1678(延宝6)年
丈草の従姉妹:伯父平兵衛の子「まつ」
碑銘「了雲院大虚慧明大姉」
没年:1713(正徳3)年
参考文献(辞典等は省略)
1 県史、市史等
〇『愛知県史』 資料編 21 近世7 領主1 付属CD-ROM
〇『名古屋叢書』 続編 「士林泝洄」
〇『犬山市史』 別巻 文化財・民俗 (昭和60年)
〇『犬山市資料』 第二集(1985年)、第三集(1987年)
犬山市教育委員会等編
〇『瑞泉寺史』 横山住雄 思文閣出版 平成21年
〇『犬山視聞圖絵』
・『犬山市史』史料編4(近世上)所収 昭和62年
・国文学研究資料館:館蔵和古書目録データベース
・「日本名所風俗図絵 6東海の巻」所収 角川書店 1984年
2 市橋 鐸の論文・著作
〇『俳人丈艸』 白帝書房 昭和5年
〇『丈艸聚影』 第一輯 俳諧史研究會 昭和6年
〇『丈艸伝記考説』 愛知県立女子大学国文学会 昭和39年
〇「丈艸遺跡巡礼」をはじめとする諸論文・紀行文など
3 柴田貞一の論文・著作
〇「内藤丈艸傳新考-犬山成瀬藩家中之者由緒書及犬山古図より-」
『郷土文化』(名古屋郷土文化会)
昭和26年7月号 所収
〇「内藤丈草とその一族」『日本歴史』(日本歴史学会)
昭和26年11月号 所収
〇「内藤丈草の傳記史料」『日本歴史』(日本歴史学会)
昭和28年10月号 所収
〇「犬山城物語」 『犬山市資料 第三集』所収 昭和62年
4 その他
〇「享保年御改家中之者由緒書」
これについては、市橋、柴田両氏の文献等を参考にしており、
由緒書の原本は実見していない。
〇『蕉門俳人年譜集』 石川真弘 前田書店 1982年
〇『蕉門俳人書簡集』 飯田正一 桜楓社 昭和47年
〇「肖像と伝説 -市橋鐸・林輝夫師弟の内藤丈艸像蒐集から」
高木史人『口承文芸研究』第36号 2013年
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