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2020年12月13日 (日)

百姓禰宜の先祖


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    戸隠神社(九頭宮:旧郡上郡和良村)の棟札
          和良歴史資料館:2019年8月撮影

以前の記事(→★)の続きになります。
45年ほど前に絶えてしまった母の実家は、代々村の神社の禰宜(棟札には禰宜のほかに神主の文字もみられる)でした。本業は農家であり、村祭りなどの神社行事を補佐するいわゆる「百姓禰宜」であったようです。
上の棟札に書かれた祖先の名を眺めていると、遠つ祖(おや)がいったいなぜこの神社と関わるようになったのか、そのわけをどうしても詳しく知りたくなりますが、その手がかりは全くないわけではありません。

父が舅である祖父から聞いたところでは、江戸時代のいつかはわからないが、その当時この神社を守っていた老婆(神職にあったと思われる)が困窮していたのを見かね、先祖が老婆を援助したことがきっかけとなり、その役目を引き継いだということです。でも事の詳細はそれ以上全くわかりません。
祖父は自分がこの「家」の13代目であることを「名号碑」の碑背に記しています。先祖の名は、幾つかの棟札(18~19世紀)に見えますが、写真左の棟札には「寶(宝)永三年」(1706年)と記されていて、これは先祖の名がある初期のもの(展示以外の棟札は見ていない)なので、それより前、17世紀末の元禄期には祖先がこの神社と関わりをもつようになったのではないかと想像しています。ただし、はたして先祖はもともとこの村に在住していたのか、それとも他の地からやってきたのかはよくわかりません。

この神社について調査したり伝承を分析した書籍類などを見ても、自分の先祖のことが詳しく書いてあるわけでもなく、今はただこうして棟札に墨書された300年前の先祖の名を、懐かしい心持ちで「与左衛門さん」と呼んでみるだけです。
そして子どものころ、母に連れられ毎年秋祭りに実家へ帰ってきたときの風景が次から次へと思い出されるのです。村人の喧噪のなか神社の舞台で演じられる不思議な神楽、派手な立ち回りばかりの田舎芝居、赤ら顔のまま家で装束に着替えて祭礼に向かう、きれいな眼をした、なかなかの男振りであった祖父のことを。
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              戸隠神社鳥居(左右の建物は舞台)
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           本殿から見る参道側の風景
      (参道入口右側にあるのは樹齢1000年といわれる一本杉)
      Lpdsc02144
                一本杉 
                        *撮影:2019年盛夏

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