犬山市の「西蓮寺」に丈草の日用品ともいうべき座禅石がある。
この写真は数年前のもの。
最近訪れたときには丈草の座禅石であることを示す小さなプレートが添えてあった。

この座禅石の由来について、市橋さんはこう述べていた。
これは後年犬山藩士小林某の手に入ったのを同寺に納めたの
だといふ。そのとき「この石はきつと下へ置いてくれるな」
と傳言があつたとのことである。 『俳人丈艸』35頁
しかしこれだけでは少々意がつかめない。
調べると、赤木邦之助氏が次のように詳しい経緯を書いている。
この石はもと内藤家の井戸端にあった。其後この宅を現在の
木全氏の祖先が買つてここに移り住んだので随つてこの石も
木全氏のものとなった。ところが其後幾星霜を經て同地寺内
町の士族小林氏の手に移った。この小林氏は茶人で、今から
三代前の西蓮寺の住職と茶友であったので、この石を同寺へ
納めたのである。
小林氏から西蓮寺へ引渡しの時に小林氏は「この石は必ず下
に置いて呉れるな」と言つたので寺では石を積んだ上に置い
てゐたが、今の住職は築山をこしらへてその上に据ゑてゐる。
「大聖𠀋草」(『犬山市資料第二集』 32~33頁)
*元は雑誌『智仁勇』大正9年~10年の連載
写真左側に句碑(例の「精霊に戻り合わせつ」の句)がある。座禅石は、真ん中がすこし窪んだ右側の石だという。
いわば丈草の使い慣れた日用品ともいうべきものを眺めていると、いまさっきまで座っていた椅子の、クッションに残った窪みを見ているような、その温もりさえ伝わってくるような気がして、なにやら生々しい空気が石の周りに漂い、詩、句、書翰などからはとうてい窺い知れない丈草の生身がこの石の上に立ち現れてくる。それは、以前も見た丈草の詩の結句の、琴梅を詠じつつ座禅する若侍の姿である。
空 門 深 築 小 蓬 莱 空門深く築く小蓬莱
終 日 詩 仙 乗 興 来 終日詩仙、興に乗りて来る
人 境 都 廬 倶 不 奪 人境都廬、倶に奪はず
座 禅 臺 畔 詠 琴 梅 座禅す臺畔、琴梅を詠ず
『犬山視聞図会』 「神護山先聖寺」の条より