« 2021年2月 | トップページ | 2021年4月 »

2021年3月

2021年3月29日 (月)

90年代の二月堂

先日、古い何本かのリバーサルフィルムをラボに出してデジタル化してもらった。その中に1990年代中頃のお水取り(修二会)の写真があった。当時は現像したままになっていて、ダイレクトプリントもしていなかった。20数年ぶりに初めて映り具合を確かめるということになる。

日帰りで訪れた日の夕方、二月堂へ行く前に大仏池に立ち寄り、秋は紅葉で美しいハゼノキを大仏殿と一緒に撮っていた。さらに馬酔木などの写真もあるが、陽も落ちていて上手く撮れていない。

           5500010004_20210328163101

報道関係者やプロカメラマンには特別の撮影場所があるが、一般のひとが堂のすぐ近くで写真を撮る場所はなく、この時はたぶん開山堂の塀と四月堂の間の狭い空間に居たように思う。手前に開山堂の松(?)らしきものが前景を邪魔している。
5500010018_20210328164101
松明を持った堂童子が舞台を歩いたり走ったりする移動時間に合わせるから、露光時間は数十秒から1分ほどだったろうか。
Photo_20210329115101
思うに、これからも修二会に何度も行くだろうし、お参りしたり火の粉を浴びることはあるだろう。けれどもこうした修二会の写真を撮るつもりはもうない。写真を撮ることに夢中になってしまい、大切なことを見逃していたり忘れていた気がしている。

機材:Nikon FE   レンズ(?) 
フィルム:フジクローム Velvia RVP100(?)

 

| | コメント (0)

2021年3月26日 (金)

お守り犬

      1dsc06009
               左:お守り犬 (総国分尼寺 法華寺門跡)  
                右:犬土鈴 (聖林寺)

何となく撮ってみた。もう30年以上前から我が家にいるお守り犬。
どれも奈良の寺で授与されたもので、時折お互いに見つめ合う(笑)
法華寺の守り犬は光明皇后所縁といわれ、代々尼僧が手作りしてきた。
護摩供養の灰を土に練り込んであり、作るのはすいぶん難しいという。
たしかに小さい方は体長2㎝ほどしかない。

そういえば聖林寺も今は尼僧が住職となっておられるとか。

※法華寺門跡 →★
※聖林寺 →★


| | コメント (0)

2021年3月21日 (日)

人情噺 文七元結

   Dsc05036
       散らし:平成11年5月「團菊祭五月大歌舞伎」(部分)

久しぶりにむかしの雑誌やパンフの整理をした。すると、なかなか処分できないでいた歌舞伎・能狂言関係の雑誌やガイド本などが幾つも出てきた。仕事にも少し関係があって、40代半ばの数年間歌舞伎や能狂言について、調べるだけでなく年に数回ひとりで歌舞伎座や南座、熱田神宮能楽殿などへ足を運んだ。

歌舞伎をはじめて観たのは、1999(平成11)年5月の歌舞伎座公演だった。
奮発して1階席のど真ん中あたりに席を予約したが、出かける前、さて服装は?と一応悩む。さすがにジーンズ姿ではと思いつつも、結局は仕事着の草臥れた背広姿になってしまった。
ロビーからしてすでに夢の花園、梨園の世界。着席すると、今日この時のためにと着飾った和装のご婦人方にガッチリ前後左右を固められ、次第に血圧は上昇の一途をたどるばかりで、例えようのない緊張感と孤独感。桟敷席には粋なつぶし島田のお嬢様たちの笑顔もちらほら見えるが、もちろん普段着や洋装の方も多数おられたので、開演までには何とか平常心が戻ってきた。
さて、芝居がはねるまでの5時間近く、役者と観客が作り出す心地よい空間にどっぷりつかり、たちまち歌舞伎のとりこになってしまった。
その後2回、3回と足を運ぶうちに度胸もすわり、時間がない時は通を気取って「一幕見席」で観ることさえあった。

その5月の歌舞伎座では、六代目尾上菊五郎五十回忌追善「團菊祭五月大歌舞伎」が2日から26日まで催された(上掲散らし)。
観たのは夜の部で、演目の三にある「人情噺 文七元結」(にんじょうばなし ぶんしちもっとい)では、当時の菊五郎、田之助、辰之助らが出演していた。これは明治に三遊亭円朝がつくった落語「文七元結」の噺をもとに、歌舞伎の世話物として劇化されたもので、今も人気のある演目のひとつとなっているらしい。
わかりやすい筋書きで初心者には有り難く、江戸っ子気質の見本のような噺でもあり、初めての歌舞伎座でこの世話物を観ることができたのは、ある意味嬉しいことだったし、父と同じ名が演目だったこともどこか身近に感じたものだ。

道かへて桜の道を歌舞伎座へ 初代 中村吉右衛門


余談:落語や歌舞伎の作り話についてはさて置き、「文七元結」や「水引」の歴史には興味深いものがある(→★)。美濃国とも縁があるとは!


 

| | コメント (0)

2021年3月16日 (火)

つくづくし

川沿いを散歩していると、土筆や蓬が目立つようになった。
きのうはご婦人方数人が黙々と土筆を摘んでいたし、愛犬散歩の男の方は手に何本も大事そうに握っていた。

走りたき犬なだめつつ土筆摘む  都筑智子

何年か前には、小さな子どもたちも土筆を摘みながら遊んでいる姿をよく見かけたのだが、最近はそうした風景に出会う機会もなくなった。

まゝ事の飯もおさいも土筆かな   星野立子

自分で摘んだ土筆を食べたのは、今からもう40年以上前のことになるか。食べ物の記憶は案外いつまでも残っているものだ。

わけもなく機嫌直らず土筆飯  飯島晴子

はっきり憶えている。仕事を辞め実家の寺を継ぐことになった彼のために、送別会を兼ねて友人たちが集まり、岐阜の長良川土手で土筆を大量に摘み取り、それを彼の寺の庫裏で全員が調理することになった。ところが袴を取ったり、あく抜きするのが面倒になり、誰もがいきなり調理しようとしたら、そばで見守っていた彼のお母様から厳しい
お叱りをうけた。「もう見てられないわねえ」といった有様だったのだろう。
とにもかくにも、卵とじ、酢味噌和え、そして天ぷら(かき揚げ)など、考えられるすべての土筆料理を作り食した末、全員一致の感想は、土筆は天ぷらに限るなあ、だったが、
なぜかは誰もが分かっていた。
そういえばあのとき、お母様が餡や蒸した蓬を準備しておられ、みんなで臼と杵で餅をつき、草餅もこしらえたのだ。古びた大きな庫裏で仲間とつくった土筆料理や、つきたての温かい草餅の美味しさは、今も忘れることができない。

草餅の柔かければ母を恋ふ 川端茅舎
 
996dsc04843 Yhdsc04938
       2021/3/14  犬山市 新郷瀬川にて
 (雨上がりのあと、14日と
今日15日も不思議なほどの青空)

※季語:土筆
    つくづくし つくしんぼ 筆の花 
    筆頭菜 土筆野 土筆摘
    土筆和(つくしあえ) 土筆飯(つくしめし)
    土筆汁(つくしじる)
                 『角川俳句大歳時記』

| | コメント (0)

2021年3月15日 (月)

奈良の春

 修二会の闇われ方尺の女座を得て  橋本多佳子

修二会・お水取りの行事が終わると、ようやく奈良も春らしくなる。お松明の燃え止しなどを手にして、闇深まる二月堂参道の帰り道を急いでいると、体は冷え切っていても、あたりにはすでに佐保姫の気配が感じられたものだ。でも一昨年以来三月の奈良には行っていない。
とくに今年の修二会は二月堂内への立ち入りが禁じられ(だから多佳子の句のような「局の聴聞」もできない)、お松明の拝観などにも厳しい制限が設けられたらしい。13日にBSでは堂内の深夜の行法などが生中継されたし、お松明はネットでも毎日見ることができたものの、やはり何か物足りない。はたして来年は行けるのだろうか。

ところで奈良の一番桜といえば氷室神社のしだれ桜。
咲き始めとなった3月11日、神社を撮られた奈良の映像作家保山耕一氏がその映像にコメントしておられた。「今年の桜は異常なほどに急ぎすぎている」と。さらに「氷室神社の梅と木蓮としだれ桜が同時に咲いているのを見たのは今年が始めてかもしれない」とも。

※ことし3月11日の氷室神社(保山耕一氏のYouTubeチャンネルより)

| | コメント (0)

2021年3月12日 (金)

♪萠黄色のスナップ

    Photo_20210312070801
     大島桜 2021/3/10  江南市(国営木曽三川公園)

 紅も萌黄も見ゆる木の芽かな
  正岡子規

川沿いを歩いても、どの公園に行っても木の芽時。
日中かなり暖かい日が多くなったので、先日久しぶりに掃除と片付けのために実家へ行った。帰り際、埃をかぶり置きっぱなしだったCDの中から適当に数枚持ち出し、そのなかの1枚を車の中で流し始めると、やがて踏み込んではいけない '危険地帯’(笑) に迷い込んでゆく。

1曲目にはデビュー曲「萠黄色のスナップ」。
結局帰宅までこの曲だけを延々とリピート。かなりボリュームを絞っても、たとえ車の外が騒がしくても、旋律にのった声はいつもハッキリと伝わり響いてくる。歌詞そのままに「どこか遠くから風にのって きらめく歌が聴こえてくる 」。声には、すでにあの色艶もあり、それでいて初々しさもあって、23歳の彼は芽吹き時の今の季節を何の衒いもなく軽やかに詠っている。詞の一節に「五月の春が笑いながら」とある。もちろん彼らの故郷北海道旭川のこと。

*「萠黄色のスナップ」1982年:「萠」の字を「萌」とする後のアルバムもある。ただしデビュー時は「萠」(変換できないが、4画くさかんむり)となっている。
作詞:安全地帯/崎南海子 作曲:玉置浩二 編曲:安全地帯/星 勝


| | コメント (0)

2021年3月 1日 (月)

ユスリカの恋

の夜の夢の浮橋とだえして峰にわかるる横雲の空  藤原定家

蚊柱に夢の浮橋かかるなり 其角 

「蚊柱」は夏の季題。
其角の句は、定家のよく知られた歌を下敷きにしたのだろうし、彼のことだから夢の浮橋は色街への通い路のことにちがいない。夏、昼寝から覚めたとはいえ、まだ気怠さの残るなかで夢の続きの妖しい幻を見たのだ。

だが夏ならずとも蚊柱は立つ。ことに
今の季節の蚊柱は、なんとなく儚さや幻といった言葉を連想させるときがある。
川沿いの土手や次第に丈を増してゆく麦畑(下写真)の上に、ゆらゆらと幾つもの柱が漂っているのを眺めていると、無いはずの「風の姿かたち」が揺らめいているようにもみえるが、少し風が強くなると、柱は死んだように地上へ落ちてゆき、風がおさまるとまた立ち昇ってくる。とくに夕暮時にそんな光景を前にすると、何やら夢幻能の一場面のような不思議な時間が流れることがある(もっともその日の気分次第ではあるが)。
そこで夏ではなく春に蚊柱を詠んだ句がないか探してみると、ある。

ほどけたる春の蚊柱吾れに立つ  工藤ミネ子


ここらあたりで書くのを止めようと思いつつ、以下蛇足ということで。

      888dsc03973
蚊柱は散歩中風の無い時にいつまでも頭の近くに寄ってくるので鬱陶しいし、たまに家近くでも発生すれば迷惑この上ない。
「蚊」という文字が入っているものの、その「柱」の正体は、たいていほとんどが「ユスリカ」で、日本だけで2000種類ほどいるという。
その仲間は蚊に似ているが、吸血はしない。成虫は1週間も生きられないというから、恋をめぐる争いは熾烈を極める。しかも柱をつくっているのはほとんどが♂ばかりで、その集団が奏でる羽音に誘われ、やがて柱の中へ♀が単独ないし数匹飛び込んできてめでたくゴールインするらしい。(詳しくは製薬会社のHP資料を→
夕陽を浴びて金色に染まったユスリカたちは、ひょっとしたら今生では出逢えないかもしれない相手を求め、必死の覚悟で飛び回っている。そのゴールインの瞬間でも撮れないものかと粘って何回も望遠でカメラを向けたが、徒労に終わってしまった。

888888dsc03790

さらに遠くの蚊柱を眺めると、ユスリカを横目に、2月になり巣作りで忙しくなったであろう百舌鳥が一日の仕事を終えて休んでいた。
「一月往ぬる二月逃げる・・・」
はやくも弥生三月。ツバメも帰ってくる。
至る所で生き物が動き始めた。
8888888dsc03960_20210301114201

写真:2021年2月27日夕刻 犬山市・新郷瀬川沿いにて。



| | コメント (0)

« 2021年2月 | トップページ | 2021年4月 »