人情噺 文七元結
散らし:平成11年5月「團菊祭五月大歌舞伎」(部分)
久しぶりにむかしの雑誌やパンフの整理をした。すると、なかなか処分できないでいた歌舞伎・能狂言関係の雑誌やガイド本などが幾つも出てきた。仕事にも少し関係があって、40代半ばの数年間歌舞伎や能狂言について、調べるだけでなく年に数回ひとりで歌舞伎座や南座、熱田神宮能楽殿などへ足を運んだ。
歌舞伎をはじめて観たのは、1999(平成11)年5月の歌舞伎座公演だった。
奮発して1階席のど真ん中あたりに席を予約したが、出かける前、さて服装は?と一応悩む。さすがにジーンズ姿ではと思いつつも、結局は仕事着の草臥れた背広姿になってしまった。
ロビーからしてすでに夢の花園、梨園の世界。着席すると、今日この時のためにと着飾った和装のご婦人方にガッチリ前後左右を固められ、次第に血圧は上昇の一途をたどるばかりで、例えようのない緊張感と孤独感。桟敷席には粋なつぶし島田のお嬢様たちの笑顔もちらほら見えるが、もちろん普段着や洋装の方も多数おられたので、開演までには何とか平常心が戻ってきた。
さて、芝居がはねるまでの5時間近く、役者と観客が作り出す心地よい空間にどっぷりつかり、たちまち歌舞伎のとりこになってしまった。
その後2回、3回と足を運ぶうちに度胸もすわり、時間がない時は通を気取って「一幕見席」で観ることさえあった。
その5月の歌舞伎座では、六代目尾上菊五郎五十回忌追善「團菊祭五月大歌舞伎」が2日から26日まで催された(上掲散らし)。
観たのは夜の部で、演目の三にある「人情噺 文七元結」(にんじょうばなし ぶんしちもっとい)では、当時の菊五郎、田之助、辰之助らが出演していた。これは明治に三遊亭円朝がつくった落語「文七元結」の噺をもとに、歌舞伎の世話物として劇化されたもので、今も人気のある演目のひとつとなっているらしい。
わかりやすい筋書きで初心者には有り難く、江戸っ子気質の見本のような噺でもあり、初めての歌舞伎座でこの世話物を観ることができたのは、ある意味嬉しいことだったし、父と同じ名が演目だったこともどこか身近に感じたものだ。
道かへて桜の道を歌舞伎座へ 初代 中村吉右衛門
余談:落語や歌舞伎の作り話についてはさて置き、「文七元結」や「水引」の歴史には興味深いものがある(→★)。美濃国とも縁があるとは!
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