ユスリカの恋
春の夜の夢の浮橋とだえして峰にわかるる横雲の空 藤原定家
蚊柱に夢の浮橋かかるなり 其角
「蚊柱」は夏の季題。
其角の句は、定家のよく知られた歌を下敷きにしたのだろうし、彼のことだから夢の浮橋は色街への通い路のことにちがいない。夏、昼寝から覚めたとはいえ、まだ気怠さの残るなかで夢の続きの妖しい幻を見たのだ。
だが夏ならずとも蚊柱は立つ。ことに今の季節の蚊柱は、なんとなく儚さや幻といった言葉を連想させるときがある。
川沿いの土手や次第に丈を増してゆく麦畑(下写真)の上に、ゆらゆらと幾つもの柱が漂っているのを眺めていると、無いはずの「風の姿かたち」が揺らめいているようにもみえるが、少し風が強くなると、柱は死んだように地上へ落ちてゆき、風がおさまるとまた立ち昇ってくる。とくに夕暮時にそんな光景を前にすると、何やら夢幻能の一場面のような不思議な時間が流れることがある(もっともその日の気分次第ではあるが)。
そこで夏ではなく春に蚊柱を詠んだ句がないか探してみると、ある。
ほどけたる春の蚊柱吾れに立つ 工藤ミネ子
ここらあたりで書くのを止めようと思いつつ、以下蛇足ということで。
蚊柱は散歩中風の無い時にいつまでも頭の近くに寄ってくるので鬱陶しいし、たまに家近くでも発生すれば迷惑この上ない。
「蚊」という文字が入っているものの、その「柱」の正体は、たいていほとんどが「ユスリカ」で、日本だけで2000種類ほどいるという。
その仲間は蚊に似ているが、吸血はしない。成虫は1週間も生きられないというから、恋をめぐる争いは熾烈を極める。しかも柱をつくっているのはほとんどが♂ばかりで、その集団が奏でる羽音に誘われ、やがて柱の中へ♀が単独ないし数匹飛び込んできてめでたくゴールインするらしい。(詳しくは製薬会社のHP資料を→★)
夕陽を浴びて金色に染まったユスリカたちは、ひょっとしたら今生では出逢えないかもしれない相手を求め、必死の覚悟で飛び回っている。そのゴールインの瞬間でも撮れないものかと粘って何回も望遠でカメラを向けたが、徒労に終わってしまった。
さらに遠くの蚊柱を眺めると、ユスリカを横目に、2月になり巣作りで忙しくなったであろう百舌鳥が一日の仕事を終えて休んでいた。
「一月往ぬる二月逃げる・・・」
はやくも弥生三月。ツバメも帰ってくる。
至る所で生き物が動き始めた。
写真:2021年2月27日夕刻 犬山市・新郷瀬川沿いにて。
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