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2021年4月

2021年4月26日 (月)

さくら餅

さくら餅仏間を通りぬけにけり  桂信子  

木曽川沿いの「フラワーパーク江南」(*)へ時折足を運ぶ。
前回は3月初旬。先週の土曜、休日は初めてのことで、ひとが多くてびっくりして短時間で帰って来た。

桜の木の前で写真を撮っていると、年配のご婦人おふたりが側に立ち止まり、木に貼ってあるプレートを見ながら、
「オオシマザクラなのね」「桜餅の葉っぱよ。桜餅、そう餅桜よ・・・」
などの会話が耳に入ってきた。

帰り道、頭の中は「さくら餅」の色艶で染まり、伊勢『赤福』の朔日餅「さくら餅」を食べたときのことを思い出した。たしか二枚の葉でしっかり包まれていたような覚えがあり、勤めていた職場の誰かがふるまってくれたものだった。もちろん道明寺。

関西に住んだ彼女のことだから、仏間をスルーしてしまった「さくら餅」も、ひょっとしたらあの朔日餅だったかもしれない。
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                     24/Apr./2021  

(*)正式には江南花卉園芸公園
   13カ所ある国営木曽三川公園のひとつ。
   桜の木は多くないが、樹齢135年の「江戸彼岸」が残っている。

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2021年4月11日 (日)

両親の修学旅行

前回父の旅行のことにふれた。
そのことに少し書き足しておく。

尋常小学校6年次の修学旅行で父は「伊勢」に行ったと書いている。
ところが父のメモをよく見ると「←→」と印をつけて高等小学校の1年次「福井・敦賀」と入れ替えている。記憶が揺らいだのだろう。

高小1年次の「福井・敦賀」は、たぶん夏の臨海学校(夏季休暇聚落=キャンプ)ではないかと思う。若狭湾のどこかで水泳などもしたかもしれない。けれども岐阜市からなら知多半島方面へ行く学校も当時あったようだから、遠く日本海側まで行ったことは意外だった。何か特別な事情でもあったのだろうか。
そして高小2年次の修学旅行は「京都と奈良」(昭和11年、父14歳)。

母も尋常小学校6年次に修学旅行で「伊勢と二見」に行っている。
昭和15年のことで、この時初めて鉄道列車に乗ったらしい。岐阜の山奥が実家なので鉄道に乗る機会はそれまでなかったのだ。
そのとき聞いた蒸気機関車の汽笛のことを、晩年になっても懐かしんでよく話してくれた。「あれは涙が出るくらい切ない響きやったよ」と。
ところが高小2年次に修学旅行があったのかどうかは遂に聞くことはできなかった。昭和17年のことだから戦時下でもあり、そろそろ修学旅行どころではなかったのかもしれない。


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2021年4月 6日 (火)

祖父と父の犬山旅行

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                         迎帆楼前 (2/Apr./2020)

  自転車と路を争ふ燕かな
  正岡子規

家族で旅に行くきっかけや目的はさまざまだろう。
ときには、親が子を慰めるために旅へ誘うこともある。

先日、父が書き遺したものを見ていたら、そのなかに「旅の記録」と題して丁寧に綴じてある冊子があり、昭和初期から晩年までの旅の行き先が箇条書きしてある。はじめて見るものだった。
尋常小学校修学旅行で行った「伊勢」のすぐ後に、昭和10年春頃?と記し「父と二人で日帰り犬山旅行(城など)」とあった。父が13歳の頃だ。
父の実家は岐阜市内だから、そんなに遠くない犬山は日帰りでも手軽に行ける観光地だった。城以外に犬山のどこを巡ったのかなど詳しいことは何も書いていないが、春の犬山城と木曽川周辺で遊び、ひょっとすると入鹿池あたりまで足をのばしたかもしれない。

はじめ不思議に思ったのは、父には兄弟や妹が多くあったのに、祖父とふたりだけで犬山へ行っていることだ。だがすぐに、むかし父から聞いた当時の話と関係があるかもしれないと思いはじめた。
そのころ父は病弱の祖母の代わりに小さな5人の弟妹の面倒をみたり、学校を休んで家事や家業の手伝いをしていて、学業がおろそかになってしまい、すいぶん辛い日々だったと聞いたことがあった。
祖父はそうした父の苦悩に気付き、慰めるために犬山へ連れて行ったのではないだろうか。

父と二人で日帰り犬山旅行(城など)」の短いメモは、当時苦しかった自分を慰めてくれた祖父の優しい心遣いへの感謝の言葉だったにちがいない。そしてさらに続けて興味深いことが書き添えてあった。
自転車で」と。
各務ケ原飛行場などを横目にツバメや飛行機を眺めながら、春の路を走る2台の銀輪が目に浮かぶようだ。

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2021年4月 2日 (金)

犬山城天守創建のこと

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                   犬山城落陽 2020年10月5日 17:21

遠くから眺めながら四季折々の城と風景を楽しむことはあっても、城郭の詳細や天守の構造についてはほとんど調べたことがなかった。これからはそうしたことにも少しは興味がもてるかもしれない。

この地方の3月末の新聞・TVのニュースでは、「犬山城天守」の創建年代のことが大きく取り上げられていた。
これまで犬山城天守が現存する日本最古の天守であるといわれながら、諸説あっていまだに創建年代が確定しておらず、たとえば1537年説や1601年説などがよく知られているが、これらの説は主に文献史料をもとに推定されたもので、いくつかの問題点を含んでいたという。

それが今回の科学的調査によって「天正12年(1584)の小牧・長久手の戦いの直後から、天正18年(1590)豊臣秀吉による小田原征伐の直前までに、織田信雄方によって一重から三重までが一連で建設されたことが実証され、やはり現存最古の天守である」(3月29日記者会見の報道資料)と確認されたとのこと。天守に使われている部材の木を年輪年代法で年代測定したことによる結論だという(従来あった1537年説よりは約50年新しいということにはなるが)。

資料:〇国宝犬山城天守の創建に関する調査について
   (2021年3月29日) 参照サイト →★
   〇記者会見の報道資料 →★

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