祖父と父の犬山旅行
迎帆楼前 (2/Apr./2020)
自転車と路を争ふ燕かな 正岡子規
家族で旅に行くきっかけや目的はさまざまだろう。
ときには、親が子を慰めるために旅へ誘うこともある。
先日、父が書き遺したものを見ていたら、そのなかに「旅の記録」と題して丁寧に綴じてある冊子があり、昭和初期から晩年までの旅の行き先が箇条書きしてある。はじめて見るものだった。
尋常小学校修学旅行で行った「伊勢」のすぐ後に、昭和10年春頃?と記し「父と二人で日帰り犬山旅行(城など)」とあった。父が13歳の頃だ。
父の実家は岐阜市内だから、そんなに遠くない犬山は日帰りでも手軽に行ける観光地だった。城以外に犬山のどこを巡ったのかなど詳しいことは何も書いていないが、春の犬山城と木曽川周辺で遊び、ひょっとすると入鹿池あたりまで足をのばしたかもしれない。
はじめ不思議に思ったのは、父には兄弟や妹が多くあったのに、祖父とふたりだけで犬山へ行っていることだ。だがすぐに、むかし父から聞いた当時の話と関係があるかもしれないと思いはじめた。
そのころ父は病弱の祖母の代わりに小さな5人の弟妹の面倒をみたり、学校を休んで家事や家業の手伝いをしていて、学業がおろそかになってしまい、すいぶん辛い日々だったと聞いたことがあった。
祖父はそうした父の苦悩に気付き、慰めるために犬山へ連れて行ったのではないだろうか。
「父と二人で日帰り犬山旅行(城など)」の短いメモは、当時苦しかった自分を慰めてくれた祖父の優しい心遣いへの感謝の言葉だったにちがいない。そしてさらに続けて興味深いことが書き添えてあった。
「自転車で」と。
各務ケ原飛行場などを横目にツバメや飛行機を眺めながら、春の路を走る2台の銀輪が目に浮かぶようだ。
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