両親の修学旅行
前回父の旅行のことにふれた。
そのことに少し書き足しておく。
尋常小学校6年次の修学旅行で父は「伊勢」に行ったと書いている。
ところが父のメモをよく見ると「←→」と印をつけて高等小学校の1年次「福井・敦賀」と入れ替えている。記憶が揺らいだのだろう。
高小1年次の「福井・敦賀」は、たぶん夏の臨海学校(夏季休暇聚落=キャンプ)ではないかと思う。若狭湾のどこかで水泳などもしたかもしれない。けれども岐阜市からなら知多半島方面へ行く学校も当時あったようだから、遠く日本海側まで行ったことは意外だった。何か特別な事情でもあったのだろうか。
そして高小2年次の修学旅行は「京都と奈良」(昭和11年、父14歳)。
母も尋常小学校6年次に修学旅行で「伊勢と二見」に行っている。
昭和15年のことで、この時初めて鉄道列車に乗ったらしい。岐阜の山奥が実家なので鉄道に乗る機会はそれまでなかったのだ。
そのとき聞いた蒸気機関車の汽笛のことを、晩年になっても懐かしんでよく話してくれた。「あれは涙が出るくらい切ない響きやったよ」と。
ところが高小2年次に修学旅行があったのかどうかは遂に聞くことはできなかった。昭和17年のことだから戦時下でもあり、そろそろ修学旅行どころではなかったのかもしれない。
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