旗本徳山氏のこと④
陣屋跡から東へ500㍍ほど離れた村社の神明神社に着いた。
重政が寄進した石灯籠(市指定有形文化財)は、姿形をなぞるように丁寧に鉄枠で倒壊防止が施されている。灯籠側面の銘には、「奉寄進石灯籠 武運長久諸願成就祈所」の願文があり、「寛文五年(1665)」「武蔵国江戸作之」「敬白 徳山五兵衛家中」とある(重政の筆になるものか)。
ちょうどそのころ重政は「本所築地奉行」として本所や深川の開発を手がけていたときである。たぶんその事業が順調にすすむよう遠く美濃にある知行地の神にも願いをかけたのであろう。それにしても江戸からここまで灯籠を運ぶのは、船が使われたにせよずいぶん難儀なことであったにちがいない。
すでに奉納から350年以上経ているにもかかわらず、その年月の経過を感じさせない趣のある灯籠である。灯籠造り自体は職人の仕事だとしても、どういうわけか重政の人柄とか性格のようなものまで姿形に現れている気がしてくる。灯籠を職人に注文するとき、重政自身があれこれ細かく指示したのではないかとさえ想像してしまう。
重政は、もちろん仕事の面では才智ある有能な幕臣だったのだろうが、誰よりもあつい信仰心をもった人格者であったに違いない。
灯籠を眺めれば眺めるほど彼の立ち姿が目に浮かんでくるのである。
(次回へ)
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