旗本徳山氏のこと⑤
徳山氏陣屋跡(史跡旗本徳山氏更木陣屋跡:各務原市)
24/Sep./2021
5代徳山五兵衛秀栄(ひでいえ)については「享保九(1724)年三月八日より本所の火事場見廻をつとめ、延享三(1746)年七月二十一日より仰せをうけて盗賊を追補す」(『寛政重修諸家譜』)とある。この盗賊を追補する役職は火付盗賊改方であり、当時幕府を悩ました盗賊団首領日本左衛門の捕縛(最後は自首)に関わったことなどが記録に残っている。なお秀栄の父である4代徳山重俊も元禄15(1702)年に同じ職に就いたことがあった。赤穂浪士吉良邸討入の年である。
秀栄は時代小説の主人公としてもよく知られている(『おとこの秘図』池波正太郎 )。日本左衛門のことや史実を巧みに織り込みながら物語にしているらしいが、その雑誌連載が1970年代末のことなので、ひょっとしたら父はこの小説を読んでいたかもしれない。それに父が遺した資料のなかには、徳山氏関連とは別に「火付盗賊改方」について詳しく調べたものがあり、たぶん自分の仕事のこともあってその役職に興味をもっていたのだろうと思う。
ここまで父のことにも触れながら、旗本徳山氏のことをメモしてきた。今まで自分が知らなかったことを中心に書いてみただけだが、あらためて気になったのは、徳山氏の本領徳山郷のことであり、今は消えてしまった旧徳山村のことである。父が昭和29年の徳山大火を見たのは、サイドカーの試運転を兼ねての巡回中に、村を一望できる峠道に差し掛かったときだったという。それはどこだったのだろう。
やっぱり徳山ダムに行ってみることにするか・・・
余談:
父のノートのなかに、火付盗賊改方の役に就いていた何名かについて簡単な履歴のメモもある。
たとえば徳山秀栄、長谷川宣以(平蔵)、矢部定謙、池田長発などである。
このうち平蔵はあまりにも有名だが、幕末に外国奉行として欧州にも派遣され活躍した池田長発(ながおき)は、数年前のTV番組で紹介された肖像写真(→★)のこともあって、ずいぶん話題になっていた。
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