徳之山稲荷神社
3代徳山五兵衛重政が本所に宅地を授かり屋敷をつくった場所は石原町だった。今の墨田区石原町1丁目あたりである。
『江戸切絵図』(*)の「深川絵図」をみると、屋敷は現在の「横網町公園」北東側の区画にあたり、屋敷の南側の道が今の蔵前橋通りになっているようにみえる。
現在の地図では「徳山五兵衛屋敷跡」の名称があり、徳山氏の宅地内にあった屋敷神を祀る「徳之山稲荷神社」が、かろうじてそこに屋敷があったことを示すよすがとなっている。さらにいつごろ作られたかは不明だが、「日本左衛門首洗い井戸跡」もあるらしい。ただしここを訪れたことがないので詳細はわからない。
次回は重政の孫にあたる5代徳山五兵衛秀栄(ひでいえ)をみる。(次回へ)
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参考
(*)『江戸切絵図 本所絵図 嘉永新鐫』
国会図書館デジタルコレクション
尾張屋清七, 嘉永2-文久2(1849-1862)刊参照
さらに「古地図 with MapFan」の地図サイトも参考にした。→★
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