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2021年10月 1日 (金)

旗本徳山氏のこと③

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父が残したメモのなかに旗本徳山氏の簡単な系図があり、3代目の重政と5代目の秀栄に鉛筆で丸印がしてあったがその意味はわからなかった。今回訪れた陣屋跡の説明板にも、3代重政はその役職名しか記されていなかった。

そこで、家に帰ってからまず重政のことを調べ直してみた。
重政は、本所や深川の町づくりを指揮した初代「本所築地奉行」だった。明暦の大火(1657年)後、都市計画の推進役として万治3年(1660)からその任にあたり、「本所の邸宅をわかちさだめ、あるひは道路をひらき、堀橋をつくることを奉行す。このとき亀戸天神を草創し、深川にをいて長慶寺を建立す」との記録がある(*)。防火・防災のために大名・旗本らの武家屋敷、町屋、寺社などを本所などへ移転させたり、掘り割り、埋め立て、架橋などをすすめて隅田川東部の土地開発や道路網の整備を取り仕切った。しかし1680年の台風・高潮の被害は甚大で、事業を断念するなど困難に直面したらしいが、その後事業は再開されて1688年からは武家屋敷の移転も始まっている。

ただしこの程度の調べでは、本所築地奉行としての重政の功績など詳しいことはよくわからなかった。けれども未曽有の事業に先鞭を付けたことは確かで、その苦労を思うばかりである。
重政は寛文10年(1670)に御勘定頭となっており、5代将軍綱吉への代替わりの翌年天和元年(1681)に勤めをゆるされ、貞享3年(1686)には引退した。彼は森下の長慶寺の中興者とされており、寺は徳山氏の菩提寺ともなっている。そして現在の墨田区石原町に屋敷(あとで触れる)を拝領したのも重政の代であったという。

さて、陣屋跡の説明板に次のようなことが書いてあった。「重政は、幕府勤めの傍ら、石灯籠を江戸で造らせて西市場の神明神社へ奉納した人物として知られています
近くなので早速神社へ自転車を走らせることにした。(次回へ)

参考
*『寛政諸家重修家譜』第三百八巻 (修→脩)
⇒国会図書館デジタルコレクションの活字版を参照した。

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