浅草田圃酉の町詣(1)
初代歌川広重「浅草田圃酉の町詣」
(『名所江戸百景』)
出典:国立国会図書館
前回の話からの連想、続きといえば続き。
たか/″\とあはれは三の酉の月 久保田万太郎
この句は短編『三の酉』(S31 →青空文庫)の末尾に添えてある。話は短い芝居として公演されたりもする。「ぼく」と「おさわ」の軽妙で粋な会話だけですすむ話であるが、実は元々おさわは吉原の引手茶屋生まれという設定である。搥田満文氏は「おさわのモデルは一人に限定しがたいが、柳橋や新橋より芸者としての格は上だった吉原への、万太郎の並々ならぬ思い入れがうかがえる作品」だと述べている(※)。空襲で亡くなったおあいさんのことも彼の念頭にあったと思う、話の結末からしても。
さて、きのう2月22日は、
にゃんにゃんにゃんの日。
今日2月23日は、
富士山の日。
ということで、万太郎の生まれ育った浅草、酉の市と猫と富士山と・・・
もう20年程前のこと、江戸東京博物館に行った折、復刻版の広重『名所江戸百景』の三枚を運良く手に入れた(或る意味仕事用だけど)。そのうちの一枚が「浅草田圃酉の町詣(あさくさたんぼとりのまちもうで)」だったが、この絵は学生時代の頃からどういうわけかとても気になっていた絵なのである。
手に入れた復刻版の著作権がどうなっているのかよくわからないので、ここに示すことは控え、自由に使える国会図書館の画像を使ったが、復刻版の色合いはこれよりもっと明るく鮮やかであり、本来はそうであったろうと思う。
そして書物などに印刷されたこの絵を見るだけでは多分わからないことが、復刻版を手に入れてから幾つもわかったのである。
(次回に続く)
参考(※下記の236頁)
〇『春泥・三の酉』
(久保田万太郎 講談社文芸文庫 2002年)
〇「浅草田圃酉の町詣」(名所江戸百景)
東京伝統木版画工芸協会
平成11年10月制作
関岡裕介(彫師)・板倉秀雄(摺師)