呑水(2)
(承前)
『市史』の一文を謎解きするのは次回にして、肝心の「呑水」についてひとまず簡単にメモし、彼の墓碑や句碑が現在どうなっているかを写真記録として載せておく(参考文献は下記)。
寛文元(1661)年犬山の生まれ。露川門の俳僧。俳名呑水。
丈草の竹馬の友といわれる所以は、丈草の追悼集『幻の庵』に寄せた呑水の句の前書きに「竹馬の戯れのみ思ひて」あるいは「故郷の親友の志に」とあるからで、丈草自身が呑水を幼馴染みと記した文献は無いという。
11歳で仏門に入り、のち犬山の一翁山妙感寺四世となり13年在住。
さらに名古屋の源頂山情妙寺六世として16年在住。
享保14(1729)年十月四日入寂。
僧名は「日陽」、諡号は「遠光院日陽上人(聖人)」
平和公園情妙寺の墓碑左面に「霊江斎(齋?)呑水墓」とある。
辞世句「蓮の実の十方に飛んで遊びけり」(平和公園 情妙寺墓碑背面)
句 碑「手のひらに雨としる夜の水雞哉」(名古屋市東区 情妙寺)
下は墓碑や句碑の写真(拡大可)
左:墓碑(平和公園内の情妙寺墓所 2022年6月4日撮影)
正面「六世遠光院日陽聖人」
左面「霊江斎(齋?)呑水墓」、右面に没年月日
背面「蓮の実の・・・」の句があるが風化で一部分しか読めない。
右:句碑(名古屋市東区筒井町 源頂山 情妙寺 2022年6月1日撮影)
「手のひらに雨としる夜の水雞哉 霊江斎(齋?)呑水」
歯塚:『市史』では「歯塚」と記すが、その正確な意味は知らない。
(犬山市犬山山寺 一翁山 妙感寺 2022年5月29日、6月21日撮影)
左:正面「師範 遠光院日陽聖人」
その右に「一翁山四世」左に「源頂山六世」
右:背面「誹名 号 呑水」及び没年月日
参考(発行元などは省略):
『犬山市史』別巻「文化財 民俗」昭和60年
『犬山市史』通史編上 平成9年
『犬山市資料』第二集 昭和60年
『俳人丈艸』市橋鐸 昭和5年
『丈艸伝記考説』市橋鐸 昭和39年
『中京俳人考説』文化財叢書第71号 昭和52年
*なおこの叢書の呑水没年(享保15年)は誤記か。
『尾張俳壇攷』服部直子 2006年
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