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2022年6月19日 (日)

呑水(1)

昨年の広報で犬山市が新しい『市史』の編纂準備を始めたらしいことを知ったが、その編纂基本方針を読むと、通史と資料の2巻だけを刊行し、残念ながら旧版の全面改訂ではないことがわかった。主に平成時代の新たなデータなどを追加するということなのだろう。
そんなことを気にしながら、先日図書館で市史『別巻「文化財・民俗」』(昭和60年)や『通史編上巻』(平成9年)をあらためて読んでいた。
丈草に関わる或る人物のことが最近気になっていたからだ。

その人物は蕉門の俳僧「呑水」(1661~1729)。丈草の竹馬の友といわれているひとである。
彼のことは、別巻「四 文芸家」の320-21頁と通史編上巻の576頁に「釈呑水」として説明されている。これらの説明には約12年の時間が空いているが、墓の写真の有無以外にそれぞれの内容に大きな違いはないものの、通史編上巻の説明には、今回読んだときに少し意味の取りきれない一文が末尾に付けてあった。以前読んだときには全く気にならなかったのに、である。

自筆原稿が早稲田大学図書館にあり、俳句結社『自在』によって活字化された。

自分には、市史の筆者の独り言のように思え、なぜか奇異な感じのする一文であった。そもそも俳句結社『自在』がどこの町にあるのかがすぐわからないし、呑水の「自筆原稿」とだけで内容の概要説明も全くないのである。「活字化された」(翻刻ということだろう)と書いているが、それがいつのことなのかもわからない。あたかも原稿の字数制限を気にしながら締め切り間際に唐突に追加された走り書きのようにさえみえる。
がしかしそれでいて、呑水の「自筆原稿」の存在や、それが「活字化された」ことが最近の筆者自身に関わる何か一大事だったのかもしれない、などと思ったりもしたのである。

呑水のことを知る前に、どこか気になるこの市史の一文についてまずは「謎解き」してみようと思い立ち、手始めに俳句結社『自在』のことを調べてみようとしたが、この一文を書いた筆者のことも次第に気になってきたのである。

写真:一翁山妙感寺(犬山市犬山山寺)2022年6月撮影
妙感寺四世の呑水、榎本馬州の墓碑、馬州の句碑などがある。
寺の背後は妙感寺古墳。
Photo_20220608120101

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