犬山の空襲(4)
(承前)
岐阜空襲や名古屋空襲などは以前に少し調べたことがあった。しかし自分が住んでいる場所からそう遠くないところにある身近な施設が、戦時中に米軍側の攻撃すべき対象としてリストアップされ、何度も攻撃を受けていたという事実は全く知らなかったのである。
もちろん大規模な施設ではないし、ここだけを攻撃目標にして空襲したわけではなかっただろうが、犬山変電所への第1回目の攻撃のあった1945年6月9日には、市民の体験談にあるように今の犬山市に該当する地域が機銃による攻撃を受け、けが人があったり火災も起きていた。
このちょうど1か月後の7月9日深夜から10日にかけて岐阜空襲があり、米軍機の焼夷弾は父の実家を焼失させた。そして当時郡上八幡で働いていた17歳の母(となるひと)はその空襲の夜、近所のどよめきに目が覚め宿舎の外へ飛び出した。「真っ赤に染まった南の空を眺めながら体が震えたんだよ」と母は幾度も話をしてくれたのだった。
きのう久しぶりに変電所の周囲を散歩しながら、そんな母の話を思い出していた。
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