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2023年4月17日 (月)

谷汲街道池野追分①

今までは親と頼みし笈摺を
脱ぎて納むる美濃の谷汲   
 御詠歌
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数年前、父のもっていた写真類を整理していたとき、自分が生まれたときに家族が2年ほど住んでいた官舎のネガフィルムを見つけた。ネガの付箋には昭和28年夏頃と記してあったが、生家といっても、物心がつく前に父の転勤で家族は飛騨高山へ移ってしまったから、家の記憶もないし、住所の揖斐郡「温知村」(昭和25~29年)という名称も今はもう使われていない。
ただしこちらの写真(↓)は父のアルバムに貼ってあり、見るたびに父は「お前が生まれた家のすぐ近くの写真だ」と話してくれたことがあった。けれども写真の正確な場所がどこなのかといったことはこれまで全く関心がなかったし、調べようという気もなかった。

ところが最近になって「西国三十三所」満願の寺「谷汲山華厳寺」について調べていたところ、「谷汲巡礼街道」の資料やその街道に関する情報を載せたサイト上に、「谷汲街道池野追分」といわれる場所のことが記されていた。そしてその追分を撮った最近の写真をよく見ると、特徴的な中央の建物の形は、父が約70年前に写した下の写真と全く同じであることに驚いたのである。

写真を拡大してみると、道路を跨いでいる看板に「揖斐地区警察署温知警部補派出所」と記してあることがわかった。
正面の建物が派出所で、左が明治時代に整備された「谷汲新道」、右が本来の「谷汲道」である。なお「温知村」は昭和25年から29年まであった地名で、「温故知新」を校名に取り入れた地元の「温知小学校」に因んでいる。

この追分は今どうなっているのかこの目で一度確かめてみたいと思い、年が明けてから早速出かけたのである。ついでに自分の生家の場所はどこなのかも・・・。
(次回②へ)
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谷汲(巡礼)街道池野追分
(撮影:約70年前の昭和28年、あるいは29年頃の夏か)

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