岐阜・犬山点描

2023年4月24日 (月)

谷汲街道池野追分②

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(承前)
その追分に行ってみた。
上の写真が前回載せた約70年前の写真とほぼ同じ場所から写した現在の「池野追分」である。櫓は無くなっているが、今は民間のものとなった元派出所の建物の形状がそっくり残っている。たぶんもしこの建物が残っていなければ、父が撮った写真が池野追分であることに気がつくこともなかったかもしれない。電柱や右端の郵便ポストの位置もほぼ同じだ。そして新道沿いには今も多くの店が並んでいる。ちなみに自分の生家があった場所(今は駐車場)はこの追分を右(旧道)に進むと徒歩1分もかからないところにあった。
70年ぶりにこの地を訪ね、生家跡の駐車場を眺めながら、父が書き残してくれていた自分の誕生の日の様子を思い出していた。逆子であることに気づいた産婆さんが医者の立ち会いを求め、父が必死で自転車を駆って病院へ走ったこと、ひどい難産だったことなど。それは梅雨も終わりに近い7月初旬の日曜日夕刻のことだった。

ところで少しつけ足す。
西国三十三所巡りについて調べていたとき、『街道を歩く 西国三十三所』(加藤淳子著  創元社 2003年)を読み、谷汲街道のことに触れた箇所で、明治44年に柳田国男が揖斐の「池野」を通ったことが記されていた。そこに紹介された柳田の文はほぼ要約に近いものだったし、出典も記されていなかったので、最近調べてみたところ、それは『美濃越前往復 -明治四十四年-』だとがわかった。引用する。

「引きかへして根尾川の末を渡り、谷汲寺に詣づ。揖斐の町長及び署長に迎へられ、揖斐の町に行きて休息す。」
と記したあとさらにこう続けている。
「池野の珍しい町を過ぐ。二十年とか前までは原野の道の辻なりしが、追々に家增加して繁華の地となる。もと入會なりし為に、家々の標札軒竝に村を異にすること、越前吉崎よりも甚だし。卽ち家主の出た村に屬することになる也。」

追分の右の道が本来の谷汲街道(旧道)であり、左は新道であるが、明治中頃に新道周辺の開発が進んで多くの商人や人々が各地から集まり、この地域は急激に栄えていったのである。そのことを柳田は短い文章ではあるが的確に記述している。
なお元派出所前の今は無くなった櫓の土台側には、「左いび (ならびに)谷汲新道」の道標(明治27年)が綺麗な姿で立っていた。
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参考:
※池野市場の開発の様子ついては、以下の史料(文献と絵図)をネット上で見ることができる(岐阜県歴史資料館)。
〇「揖斐郡池田村大字池野市街成立書」(翻刻)→★
 (追分にあった元派出所の設立事情も記載)
〇絵図「市場開設前の池野村」→★
〇絵図「市場開設後の池野村」→★
※その他
〇『街道を歩く  西国三十三所』
  加藤淳子著 創元社 2003年
〇『定本柳田国男集 第3巻』
  筑摩書房 1963年
〇『揖斐郡志(全)』昭和61年復刻版
〇『池田町史(通史編)』昭和53年

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2023年4月17日 (月)

谷汲街道池野追分①

今までは親と頼みし笈摺を
脱ぎて納むる美濃の谷汲   
 御詠歌
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数年前、父のもっていた写真類を整理していたとき、自分が生まれたときに家族が2年ほど住んでいた官舎のネガフィルムを見つけた。ネガの付箋には昭和28年夏頃と記してあったが、生家といっても、物心がつく前に父の転勤で家族は飛騨高山へ移ってしまったから、家の記憶もないし、住所の揖斐郡「温知村」(昭和25~29年)という名称も今はもう使われていない。
ただしこちらの写真(↓)は父のアルバムに貼ってあり、見るたびに父は「お前が生まれた家のすぐ近くの写真だ」と話してくれたことがあった。けれども写真の正確な場所がどこなのかといったことはこれまで全く関心がなかったし、調べようという気もなかった。

ところが最近になって「西国三十三所」満願の寺「谷汲山華厳寺」について調べていたところ、「谷汲巡礼街道」の資料やその街道に関する情報を載せたサイト上に、「谷汲街道池野追分」といわれる場所のことが記されていた。そしてその追分を撮った最近の写真をよく見ると、特徴的な中央の建物の形は、父が約70年前に写した下の写真と全く同じであることに驚いたのである。

写真を拡大してみると、道路を跨いでいる看板に「揖斐地区警察署温知警部補派出所」と記してあることがわかった。
正面の建物が派出所で、左が明治時代に整備された「谷汲新道」、右が本来の「谷汲道」である。なお「温知村」は昭和25年から29年まであった地名で、「温故知新」を校名に取り入れた地元の「温知小学校」に因んでいる。

この追分は今どうなっているのかこの目で一度確かめてみたいと思い、年が明けてから早速出かけたのである。ついでに自分の生家の場所はどこなのかも・・・。
(次回②へ)
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谷汲(巡礼)街道池野追分
(撮影:約70年前の昭和28年、あるいは29年頃の夏か)

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2023年3月29日 (水)

火とぼしころを

ひと恋し火とぼしころをさくらちる 加舎白雄

さて、きのうもきょうも空が焼けた。
10分足らずの出来事だった。
夕闇深まるなか、風は収まったけれど、
閑かに桜花は謝す。
そして遠く東に住むひとのことを想う。
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上 18:14   下 18:22   29/Mar./2023 
犬山成田山

加舎白雄は信州上田藩松平家の深川抱屋敷で上田藩士加舎家次男として出生。蕉風復興に力を注ぎ、蕪村とならび俳諧中興の祖の一人(1738~1791)。「ひと恋し・・・」の句碑を墨田区の白鬚神社で見たことがある。また信州上田城跡公園にも句碑があるらしい。

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2023年3月10日 (金)

落日犬山城

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        犬山成田山より(17:46 10/Mar./2023)

この季節になると日の入り時の犬山城を撮影するひとが増え、桜が咲くころまで続く。今日は撮影者の集まるところからは少々離れて写してみた。
半年後の9月ごろの夕陽も美しいが、秋の満月が犬山城へ沈む月の入りも趣がある。

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2023年1月 4日 (水)

烏瓜

くれなゐもかくてはさびし烏瓜 蓼太

さかりゆくひとは追はずよ烏瓜 鈴木しづ子
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                      犬山市高根洞 3/Jan./2023

きのう入鹿池から本宮山に登り、下るときは大縣神社へ出る道を選んだ。神社が近くなってきたころ、冬の木々や枯れ草ばかりの藪の奥にふと目を遣ると、「おい! 見てくれよ」とばかりに三つほどの実がぶらさがっていた。
持っているどの歳時記も「烏瓜」は晩秋の季語、そして「烏瓜の花」は晩夏の季語となっている。日没後に咲き朝には萎むというその花をこれまで実際に見たことがないので、今年の夏には是非どこかで。

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2022年10月 6日 (木)

木曽川夕照

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きのう岐阜の実家へ掃除に行った帰りの夕方、曇り空だったのが一転して西の一部の空が晴れてきたので急いで成田山に寄りました。空の大半はまだ厚い雲に覆われていましたが、ひょっとして焼けるかもしれないと思ったのです。
15分ほどの短い時間でしたが、なにより夕照木曽川の川面が美しく、伊木山を挟んで上流も下流も茜色に染まった川の景色をこれまで見たことがなかった気がします。
城と伊吹山が近づいて見える大師堂付近の階段に移動した頃には、すでに雲が暗くなり始め、茜色の空は次第に鈴鹿山脈の方へと移っていきました。
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2022年10月 5日 (水)

明治村のキンモクセイ

木犀に人を思ひて徘徊す  尾崎放哉

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先日明治村住民登録(年間パスポート)更新のために入村。
前回の入村は真夏だったのですが、今はもうキンモクセイの季節(でも訪れたときはすでに花の終わり)でした。そんなわけで今回は明治村のキンモクセイ巡りをした結果をメモしておきます。

自分にとってもっとも印象的な明治村のキンモクセイは4丁目の「半田東湯」前(上掲写真)に立っています。でもおそらく誰もが目を向けるのは5丁目の「金沢監獄正門」脇(↓)にあるキンモクセイかもしれません。きょうもその側を通る大半のひとが立ち止まって見つめていました。
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明治村の他の地区よりも北口に近い5丁目にはキンモクセイが多く植えられているような気がしました。北口から「帝国ホテル中央玄関」へ到る道沿い、そして「金沢監獄中央看守所」周辺の庭(↓)などには特に多く見られます。
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なかでも「高田小熊写真館」前(↓)に並ぶ二本は印象的です。
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4丁目では上で紹介した「半田東湯」以外に「工部省品川硝子製造所」前にも植えられています。さらに4丁目の「休憩所」から3丁目に入る道沿いのガス灯付近(「台場鼻潮流信号機」近く)や「神戸山手西洋人住居」の周囲にも何本か植えられています。
1丁目では「西郷從道邸」西側庭の奥、「日本庭園」入口、そして「大井牛肉店」の裏などに見られます。

今回キンモクセイだけを探して村内を回りましたが、かなり多くの場所にあることは意外でした。キンモクセイが香る時期が短く、ふだんは木の存在すらほとんど気にかけていなかったからでしょうか。
他にも桜や椿など、村の植栽地図を明治村で作っていただけないかなと思ったりしました。建物だけでなく樹木も大切な展示物だと思いますので。

閉村時間が近づき、最後はキンモクセイ越しの帝国ホテル中央玄関に別れを告げて北口へと急行。
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*建物の位置関係は、明治村HPにある「村内地図(PDF)」参照。

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2022年5月 4日 (水)

内藤記念くすり博物館

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時折この博物館の前を通る機会があり、そのたびに気にはなっていたけれど、中に入ったことはなかった。
今日の午後、要件を済ませた帰りに、もう閉館間近だったが初めて立ち寄ることができた。

いわゆる「企業博物館」の中でも極めて評価の高い博物館である。医薬品メーカーの「エーザイ」川島工園(各務原市)の中に1971年開館して以来すでに半世紀になる。概観は白川郷の合掌造りをモチーフにしている。

館内だけでなく、西側の薬用植物園を歩いていると時間を忘れてしまう。季節毎、いや月に1度は訪れてみたくなる。
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イヌバラ:果実はローズヒップ 
4/May/2022 内藤記念くすり博物館薬草園
*内藤記念くすり博物館 HP

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2022年3月21日 (月)

淡墨桜

犬山成田山に「淡墨桜(薄住桜)」(うすずみ桜・エドヒガン)のネームプレートが付いた桜があります。いつごろ植えられたのかは知らないのですが、岐阜県本巣市の根尾にある「日本三大巨桜」のひとつ「根尾谷淡墨桜」(樹齢1500年超)の子孫だと思います。

まだ満開ではないですが、その淡墨桜が先週から咲き始めていましたので、今日(21日)、朝と夕方に城と伊吹山を背景に撮ってみました。昼過ぎには薄雲が広がり、次第に雲が厚くなってきて空は焼けないままで残念でしたが、むしろこの眺めが春らしい暮色なのかも、と。

10:33/21/Mar./2022
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17:46/21/Mar./2022
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☆去年のタイトルバナー(19/Mar./2021)
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2022年2月11日 (金)

再び明王山へ

ことし3回目の明王山。今回も迫間不動尊から登りましたが、次回は日本ラインうぬまの森からにしようかなと。
日陰道は雪が5センチぐらい残っている所もありました。
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伊吹山。午前中だったらもっと鮮やかにちがいない。右中央に岐阜城・金華山。
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御嶽山。噴煙の様子ははっきり確認できません。他にも能郷白山などの眺望は良かったが、中央アルプス、恵那山方面はほとんど雲に隠れていました。
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時間的にラッキーだったのか、望遠レンズを向けると、光る伊勢湾や浮かぶタンカー、名古屋港のキリンの形をしたガントリークレーンなどが見えました。距離約48㌔。
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登山口に戻った頃には汗だく。
があれば飛び込みた~い、そんな気持ちを託して・・・
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