梅の句 (2)
梅の句(1) 承前
久保田万太郎(1889~1963)の句といえば、「湯豆腐やいのちのはてのうすあかり」をはじめ、「パンにバタたっぷりつけて春惜しむ」や「時計屋の時計春の夜どれがほんと」などが歳時記によく取り上げられている。
去年上梓された『久保田万太郎俳句集』(岩波文庫)の解説で恩田侑布子が「万太郎は恋句の名手」だと書いていた。子規や虚子が主導した近代俳句の隆盛のなかで取り残されてしまった恋句や相聞の流れを、万太郎は大切に次の時代へ受け渡してくれたということだろう。
多くの不運もあったにせよ、彼の結婚生活や女性関係に世間は厳しい目を向けていたことは事実だが、しかし彼が純粋に慕い憧れ、尊敬していたひともあったにちがいない。そのひとり「おあいさん」は、ひょっとすると幼い頃彼の母代わりであった祖母の面影と重なっていたのかもしれない。
昭和20年3月10日の東京大空襲で焼死した「おあいさん」とは、吉原の名妓いく代(西村あい)のことらしい。
「三月十日の空襲の夜、この世を去りたるおあいさんのありし日のおもかげをしのぶ」と前書のある昭和20年の悼句(『草の丈』)。
花曇かるく一ぜん食べにけり
ありし日の彼女の忙しい芸妓生活を偲び、自分もかるく食事をとったということなのだろう。また『冬三日月』には昭和24年の句として、「三月十日」の前書きをつけておあいさんを追悼している。
さくらもち供へたる手を合せけり
そしてあまりにもよく知られた「ひそかにしるす」と前書きされている句(昭和21年(『流寓抄』)。この人がおあいさんであるかどうか諸説あるらしいが、そんな穿鑿は野暮なことだ。作句者の波瀾に満ちた人生のことなどはひとまず忘れ、早梅の芳香に酔いながら、心の中で何度も小さく口ずさんでみるのである。
ひそかにしるす。
わが胸にすむ人ひとり冬の梅
自宅の部屋にて(2019年2月)
参考:
『久保田万太郎全句集』
(中央公論社 昭和53年再販)
『万太郎の一句』
(小澤實 ふらんす堂 2005年)
『久保田万太郎の俳句』
(成瀬櫻桃子 講談社文芸文庫 2021年)
『久保田万太郎俳句集』
(恩田侑布子 編 岩波文庫 2021年)