宇品の船舶練習部-その2-
六管桟橋(軍用桟橋)跡
2015年1月13日撮影(下4枚も)
父にとって広島・宇品は特別の場所であったようだ。大陸や南方の戦地よりも僅かな期間であったにも拘わらず、戦時中と復員時に訪れた広島のことは強く記憶に残っていたらしい。だが、復員時に見た広島市街の様子についてだけは、それを語る言葉がどうしても見つからなかったのか、多くを話すことはなかった。
父の遺稿を整理し始めたころから、数度広島を訪れ、宇品地区にも2度立ち寄った。当時の面影はほとんど無くなっているが、六管桟橋(軍用桟橋)は護岸となり、東側は「宇品波止場公園」になっている。船舶司令部のあった旧凱旋館の場所の一部は、今は「宇品中央公園」であり、幾つかの碑が建てられている。「宇品凱旋館建設記念碑」「旧蹟 陸軍運輸部 船舶司令部」の碑とともに、「港」の歌の歌碑もある。
中央公園の北側道路には、「被爆建物」の「広島陸軍糧秣支廠倉庫」がある。宇品線の宇品駅プラットホームに沿って1910年に軍用物資保管のためにレンガで造られたものである。その壁とプラットホームの一部分だけが遺されていた。
宇品については、復員時の様子を記すときに再び触れることにし、次回は、宇品から岐阜に休暇で一時帰郷したときの遺稿を見ることにしたい。
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