出征 - 豊橋へ -
愛知県豊橋市の向山緑地公園に「豊橋工兵隊の碑」がある。当時の訓練用トーチカの上に戦後になって碑が置かれた。かつての軍都豊橋は、陸軍の留守部隊も置かれており、父の軍歴はここから始まった。向山は陸軍の演習場だったが、父は入隊後1週間しか滞在せず、その後名古屋港から大陸に出征した。もうすぐ19歳になるころのことである。所属部隊は当時中国山西省大同にあった「第26師団工兵第26連隊」だった。この連隊は、父が別部隊へ離れた後、かの「レイテ島」に派遣され、激戦で全滅した連隊であった。
1940(昭和15)年12月1日父は入営し、12月8日には名古屋港から大陸に向かった。
≪入隊したのは大陸派遣の留守部隊であり、我々約150名は第26師団「工兵第26連隊(のちにレイテ島で全滅)」の要員となっていた。我々は基礎訓練を受け始めたが、団体行動が一応とれる程度のヒヨコの新兵であった。派遣先は入隊当時には当然秘匿されていたが、X日に中国に派兵されることは誰からとなく自分らに伝わった。やがてX日が12月8日(大東亜戦争勃発の1年前)であり、派遣先は北支方面の「大同」であることが、すでに噂として皆に知れ渡っていた。北支から初年兵受領に来ていた数名の将校・下士官から非公式に親に文書で伝わっていたのである。≫*上掲の碑の正面中程にあるプレート
工兵の兵科色は明治中頃から鳶色(赤みを帯びた茶色)であったことから、この鳥は鳶ではないかと勝手に想像している。
鳥の足は、工兵の最も大切な武器であった円匙(スコップ)と十字鍬を握っている。
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