英軍潜水艦の攻撃-その1-
パレンバンからベラワンに戻った父は、1943(昭和18)年12月陸軍軍曹となった。
入隊して3年になり、中隊本部附き下士官として被服、兵器及び給与などの事務的な仕事が多くなってきた。そのため本来の舟艇業務からはしばらく離れることになった。
そのためか、回想記にも半年余りの空白があり、とくに大きな出来事は記されていない。
ただ、次第に増す戦況の厳しさと軍隊そのものの劣化については触れている。
≪比較的安全だといわれていたこの地域にも、空襲や舟艇への潜水艦攻撃は日増しに激しくなってきた。スマトラやマレーに潜入した英軍諜報員と現地ゲリラによる襲撃事件が頻繁に起き始めた。しかも舟艇・艦船の老朽化がすすみ、故障が起きても後方からの補給が途絶えてきたので修理も十分できなくなってきたのである。
主力装備である舟艇だけにとどまらず、全ての兵器、装備、被服そして食糧が不足してきたのであった。明らかに軍は劣化しつつあった。≫
そうした状況下、1944(昭和19)年5月26日、第7方面軍の命令、「岡方作命甲第20号」が発せられ、父の船舶工兵第10連隊にたいして、アンダマン、ニコバル諸島方面への連隊主力の転用などが行われることになった。
次回からは、マレー、蘭印に関する戦況全般について概観しながら、この命令による船舶工兵第10連隊の動向を、父の回想とともに記してみたい。
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